コメント

藤森照信(東京大学教授・建築史家・建築家)

話を聞いて、これはノアの方舟計画だな、と思った。映画を見て、これはノアのイカダだと思った。
方舟はアララト山に流れ着き、そこから今の文明は始まったそうだが、イカダは何という山に流れ着いたんだろう。
そして、そこから何が始まったんだろう。
森が丸太になり、丸太が舟になり、舟が山に登る。スケールの大きさが、見る人の縮んだ気持ちを伸ばしてくれる。

日比野克彦(アーティスト)

移動と定着
移動することによって産まれるチカラがある、
それが人類を進化させてきた。
定着することによって産まれるチカラがある、
それが地域を育んできた。
移動と定着の繰り返しが人と土地を「いとおしい」ものにさせてきた。
この「船、山にのぼる」は、そんな「いとおしさ」が産まれる時を
はっきりと感じさせてくれる作品だ。

北川フラム(アートディレクター)

「船、山にのぼる」は現代のお伽話だ。
農業の廃棄やダム建設は、地方の切り捨てとセットになっている。
そんななかで地元の人々と紡いだ船の話は、ダムの湛水実験という極めて土木工学的方法にそったお伽話と言うしかない。
思えばお伽話は、いつでも棄民される場所に生まれてきた。
これはヘルツォークの映画「フィツカラルド」に匹敵する。ペルーのイキトスのオペラ座のために、船を山を越えて運ぶという話だった。
「船、山にのぼる」は、本当の話でありながら私にとってはお伽話のように思われた。それが嬉しい。

五十嵐太郎(建築評論家)

受け身の引越しは切ない。
森が消え、村が消える。家も田んぼも、すべてが水平に移動し、場所を変える。しかし、ただひとつ垂直に動いたものがあった。
それが船である。
伐採された木は谷に降り、船と化し、水位の変動を利用して、山にのぼる。
すべてが水没するとき、船だけは10階建てのビルよりも高く、希望を背に受けて浮上した。
巨大な土木工事がもたらした現代の神話的な風景。山頂の船は、村の場所を刻印し、記憶をつなぎとめる。

村田真(美術ジャーナリスト)

ダム建設で水没する地を舞台に繰り広げられたアートプロジェクト「船をつくる話」。
PHスタジオが10年越しで進めてきたこのプロジェクトも、昨年ダムに水が入って船を浮かせ、
丘の上に着地させることでひとまず終結を見た。
その記録映画が本田孝義監督の手によって完成し、来年からの劇場公開に先立って上映された。
これがよくできていて、ドキュメンタリー映画で1時間半というのは長いほうだが、ちっとも飽きさせない。
もちろん素材自体のおもしろさが大きいとはいえ、それを1本の骨太なストーリーにまとめあげた本田監督の手腕はおみごと。
(インターネット・artscape 展覧会レビューより転載)

竹内昌義(建築家/みかんぐみ)

人を取り巻く環境は単なる物質的な集合ではなく、それまで育ってきた記憶と経験が織りなすテキスタイルのようなものだ。
ダムの建設により日常の場が水没することで、それらは現在と断ち切られてしまう。
水の底でつくられ、浮かび上がったこの船は過去と現在を繋ぐ装置であり、水没という事実の象徴でもある。
このフィルムは船が単なるオブジェではないことを教えてくれた。

矢内原美邦(「ニブロール」代表・振付家)

ダムに沈む街と向き合うことができるなんて素敵じゃないですかって....
街がなくなる人にとっては不謹慎かもしれないけれど....
でも、町がなくなって、新しい町に住むと、
いつかのまにかその新しい町になれ古い街の記憶は曖昧になってゆく。
新しいものを獲ると人は古いものを忘れてしまう。
それはちょっとせつない。でもそれでよいともおもう。
山のうえの船はきっと、忘れないための印なのではなく、
この永遠につづく時間の偶然な点として、
そこにありつづけるのだと思う。

野中真理子(映画監督/『トントンギコギコ図工の時間』)

バリケード封鎖もシュプレヒコールもない、
ふしぎなダム闘争のものがたり。
船をつくる人々は
血を流して倒れる道を行かず、
思考停止で沈黙する道を行かず、
よいしょヨイショと生きて行く道を行く。

七里圭(映画監督/『眠り姫』『のんきな姉さん』)

利害を超えて信念を貫き活動を続ける人の、その信念の源。
本田さんの映画には、このことへの興味が通底しているような気がする。
(中略)
それにしても12年間である。こんなことのために、と思う人もいるだろう。
けれどもその途方もなさが、本田さんの描こうとしたことなんだろうと、僕は思うのだ。
(パンフレット寄稿原稿より抜粋)

加藤治代(映画『チーズとうじ虫』監督)

マシュマロの雲、砂糖菓子の木、ミルク色の草花の中に、クッキーみたいな舟のある風景。
溶けてしまいそうに美しいけれど、その周りには、戦って、傷ついて、大切なものを奪われた人達が暮らしています。
もし私達が「辛さ」を「楽しみ」に変える大きな力を、この舟に見出す事が出来たとしたら、
この町の人達の様に、もっと強く、そしてもっと柔らかい生活が送れるはず。

小川 知子(「ecocolo」編集部)

船を山にのぼらせることで、ダムに沈む森の引っ越しをする、と聞いても、正直、腑に落ちなかった。
けれど、“消えゆく森をどうやって生かしてやろうか”という村の人々の想いが、そこにあった。
月日をかけて、その想いがひとつになっていく姿を眺めるうちに、村の軌跡を運ぶ船が山へのぼり、再び森に帰ってくる、
その瞬間を待ち望んでいる私がいた。
ecocolo.com  

中国新聞(2007年11月23日掲載記事より抜粋)

荒唐無稽にも映るアイデアが、のんびりとしたペースながら住民の理解を得て形になるさまは感動的。

中沢雅子(建築専門書店 南洋堂)

船が山にのぼるなんて、お伽噺のようだと思っていましたが、12年にわたる「船をつくる話」をみて、
自分の気持ちが、故郷が水に沈んでしまうという村の方々の想いにだんだん寄り添っていくのを感じました。
南洋堂書店ウェブショップ

上映会場から

ダムにまつわる話と言えば反対闘争と相場が決まっている中で、まったくエネルギーの方向が違う(最初からそうではなかったでしょうが・・・)展開で、地域の人間関係の再生という視点では山陽団地※にも通じるものを感じ、感動しました。(男性)
山陽団地:本田監督の育ったニュータウン。前作「ニュータウン物語」の題材になった

アートというもの、丁寧に人の気持ちにふれてゆくこと。「えみき」のエピソードを見ながら涙がとまりませんでした。(女性)

とても感動しました。ダム、水害、関係、あらゆるものとの対話が感じられました。ありがとうございました。(男性)

住民の「えみき」に対する思いや、水没するというマイナスイメージがプラスの思いにまとまるまでの過程に感動しました。(男性)

ダムの建設にともなう移住に、アートが関わり、住人の方々の想いまでが引越しするという計画はすばらしいと思った

静かで淡々としているけれど、とても熱いものを感じられる映画でした。

壮大な物語と思った。

「人間とは不器用でも美しいものだ。」そんな風に感じました。何かを信じて突き進む先に夢はあるんだな、と思いました。
いい映画でした。(女性)

クライマックスに向けて、ふるさとがなくなるという切なさがせまってくる。お祭りのような大木の移しかえ、山に船をのせる所。
切なさが、心のよりどころが、山にのせられたようで心がしめつけられました。(女性)