風邪がぶり返す・・・
結局、今日は風邪がぶり返してしまった・・・。一日、自宅で寝る。
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
今日は9時半から、市民がつくるTVF(東京ビデオフェスティバル)の入賞作品を見に行った。ネットでも見れたのだが、まとめて見たかった。全15作品、どれも力作だったので驚いた。特にこういう市民ビデオがいいのは、対象への愛情の深さ。時としてプロが忘れがちな視線が生きていることだ。中でも、僕は最後に見た「待合室の、片隅で。」という作品に眼がしらが熱くなった。もうかなり前なのだが、僕はテレビドラマの仕事で北海道の稚内に行ったことがある。ドラマの冒頭、稚内駅がとても重要なシーンだった。この作品はその稚内駅の立ち食いそば屋が、駅の改築により閉店を迫られるという話。こんな最果ての地までジェントリフィケーションが及んでいるのか、と悲しくなる。けど、それは東京目線かもしれない。本作に登場する多くの方も、古い駅舎がなくなるのは残念だ、と言いつつ、町の発展のことも考えている。その複雑な心情もよく表現されていた。そして、そば屋や人への愛情があふれたカットの数々に胸が熱くなった。
その後、表彰式には出ずに(作者の言葉が聞きたいのは山々だったが・・。)横浜の神奈川芸術劇場に行った。坂口恭平さんのモバイルハウスがデコレーションされた、と知ったので実物を見たかったのだ。このモバイルハウスは来月のエココロの表紙になるらしい。そして、同劇場のアトリウムで演じられた康本雅子×オオタルイチを見た。とにかく楽しかった!こんな気持ちになったのは久しぶりかもしれない。
横浜を後にして、原宿のKINEATTIC http://www.kineattic.com/ に向かう。以前から気になっていた場所で、行くチャンスがなかったから行ってみたかった、というのもある。今日は三代川達 http://www.miyokawatachi.com/ というグループの上映会。「ビリーザキッドの最期の弾丸」(
監督:ワタナベカズキ)「想いは壁を通り抜けて、好きな人に逢いに行く」(監督:頃安祐良)の2本を見る。どちらの作品も技術的にはしっかりしている、と思った。また、テイストはかなり違うけど、どちらも繊細な作品だと思った。ただ、繊細さは裏返せばひ弱さにもつながる。ある時期から、(もちろん普遍的なテーマではあるのだが)自主制作映画の中で、コミュニケーション/ディスコミュニケーションを描く作品が増えていったように思う。それは多分、現実社会の反映でもあるのだろう。一方でどこか閉じた印象を抱くこともある。僕は何かもどかしさを感じてしまった。その後、坂口恭平さんを迎えてのトークショーになったのだが、どこか煮え切らない彼らに対して坂口さんは明確に苛立ちを感じていたと思う。僕は自主製作の劇映画の上映の大変さも少しは知っているつもりだ。だからこそ、いろんなことにトライして欲しい、と思った。副題が”僕らは何と戦うのか”とあったのだが、もしかすると自分と戦わなければいけないのかもしれない。(偉そうに書きながら、僕が彼らの年齢の時は一番迷ってた頃かもしれない、とも思う。)
今日は午前中、『テレビに挑戦した男 牛山純一』を見た。牛山純一という名前は、少しでも日本のドキュメンタリー史を調べたことがある人なら必ず遭遇する名前だ。同時に、テレビ草創期に民放に本格的にドキュメンタリー番組を導入したパイオニアでもあるので、テレビ史についても必ず名前があがる人だ。僕は元来怠慢な人間なので、牛山純一の作品をほとんど見ていない。本作は、佐藤真さんが映画美学校で牛山純一研究会を行っていたことが発端となって生まれたドキュメンタリー映画だそうだ。佐藤さんも冒頭、大津幸四郎さん相手に話している姿が登場する。牛山さんについて語る人の何人かは、映画美学校の授業の講義を写したもののようだ。なぜ、佐藤さんが牛山純一研究会をやっていたのかは、よく分からないのだが、佐藤さんがテレビ番組を何本か作る中で葛藤があったことが発端ではないか、と勝手に推測する。このドキュメンタリーは基本的にかつて牛山純一さんと関わりがあった方(一部は批評家)が、牛山さんの製作について語ることから、牛山さんの手法、テレビメディアの特性などが浮き彫りになってくる構造だ。一部、映像も紹介される。とても意義深い作品だと思う。色々、考えさせられることも多かった。ただ、少し残念だったのは、証言構成のためしょうがない部分があるのだけれど、どこかまとまり過ぎている、という印象があったのだ。まとまっている、のは普通、いいことだけれど、はみ出す部分があることで映画が豊かになることもある。そのバランスに正解はないから難しい。もっと俗っぽく言えば、お行儀がいい、というか。牛山さん自身は、多分、かなり山っけがあったのではないか、と推測する。その山っけがこのドキュメンタリーにあったら、というのはないものねだりかもしれないが。
夜は恵比寿映像祭で「建築と映像:物質試行をめぐって」http://www.yebizo.com/#pg_screen10というプログラムを見る。短編5本の上映だったのだが、ここではその1本を。七里圭・鈴木了二共同監督の『物質試行52』はとても美しい作品だった。建築家・鈴木了二の展示もこの映像祭で展示されている。僕は七里さんの新作として見に行った。画面は暗闇(よく見るとわずかに何かが映っているようでもある)の中、音楽が響く。そして鈴木了二のインスタレーションがいくつもの光線と影を伴い描かれる。インスタレーションの静謐さとも相まって、至高を目指すような美しさがある。もう、自分でも笑ってしまったのだが、僕と180度違う世界がここにある。(僕もこういうことをやってみたい欲望はあるけれど。)だからこそ、僕はこの作品はとても好きだ。
今日は午前中から、横浜のYCCで「舞台芸術AIRミーティング@TPAM AIR—新しい共有の形」を聞いた。スピーカーは坂口恭平さんとトッド・レスター(Global Arts Corps エグゼクティヴ・ディレクター)さん。坂口さんの英語によるプレゼンが面白かった。トッドさんの話では、政治的弾圧に対抗するためのアーティスト・イン・レジデンス(これが略してAIRですね)の話が興味深かった。日本ではまず、そうした話を聞いたことがない。午後は、世界中のAIRに関わる人たちが多く参加してのラウンドテーブル。実践している人が多いので、具体的な活動資金の話が様々議論されていた。(今回は当たり前だが舞台芸術関係の人がほとんどだったように思う。)僕は、多分、前日までに話されていたのだろう、と思いつつ、なぜ、アーティスト・イン・レジデンスを行うのか、という部分が気になっていた。アーティストが普段活動しているエリアを飛び出して、ある場所で滞在製作を行う場合、そこではそれまでの活動と違った何かが生み出されることが期待されているのだろうし、本人も希望しているだろう。僕は自分の経験から言えば、別の場所=コミュニティーに入った時の、地域の人たちとの関係だ。ここは大切でもありつつ、現実にはなかなかに難しい部分でもある。だからこそ、坂口さんが述べていた、交易という考え方は、アーティスト・イン・レジデンスにもとても重要な部分に接続できる、と思って聞いていた。(が、皆さんの議論を聞いていて、発言しそびれてしまった・・。)とにもかくも、計4時間だったが、なかなかに刺激的な話ではあった。
今日は夕方から、横浜の神奈川芸術劇場に行ってきた。今日からエントランスに坂口恭平さんのモバイルハウス3台が展示されているのだった。3台と言っても、全てタイプが違う。1つは2階建て、もうひとつは透明なハウス、そしてもう一つは、少し小ぶりで植物栽培が出来るタイプのもの。とにかく中に入ってみると、なぜだかほっと落ち着く。加えて車輪が付いているので、どこにでも置くことが出来る家なのだ。関東の方はぜひ、実物を見てほしいです。モバイルハウスの中に、『モバイルハウスのつくりかた』のチラシを置かせてもらいました。『モバイルハウスのつくりかた』のホームページ http://mobilehouse-movie.com/ では僕と坂口さんのツイッターが読めるようになりました。見てみてください。
今日はまず、座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルで、『相馬看花 第一部奪われた土地の記憶』(監督:松林要樹)を見た。福島第一原発の事故により、避難を強いられた南相馬市で撮られたドキュメンタリー。僕は松林監督の粘り腰を評価したい。一度の取材では見えてこない、人間同士の関係が深まる中で、その人の人生が浮かび上がってくる。そのことによってしか、原発事故がもたらしたものは見えてこない。僕はそう思った。次に、『Coming Out Story』(監督:梅沢圭)を見た。トランスジェンダーとして、女性の体になることを望む、土肥なつきさん。この人はとても魅力的だった。一方、映画は監督自身の性を少しだけ語り、同時にスタッフの中に過去の自分の性に向き合うことになる者も表れる。僕は悩み始めたスタッフの描き方が少し中途半端な印象を受けた。
それから、恵比寿に行って、恵比寿映像祭 http://www.yebizo.com/ を見る。今年のテーマは「映像のフィジカル」。訳せば、映像の物質性、とでもいうことになるようだ。僕は正直に言えば、あまりピンとくるテーマではなかった。数多くの展示映像を見て、いい作品も確かにあったのだが、僕の中ではなかなかテーマに焦点が結ばない。その後、ホールで上映された『なみのおと』(監督:濱口竜介、酒井耕)を見た。昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭でも上映され、僕の周辺ではとても高い評価が聞こえていたのだった。確かにこの映画はいい作品だった。多くの人が指摘しているように、まず、撮影に工夫があり、単純なインタビューを回避している。基本的には2~3人の人物(2回は監督を含む)の対話によって、つなみの体験が語られる。カメラ目線で対話する二人は画面からこちらが見られている、独特の眼差しになる。同時に、編集が驚くほど巧みだ。(一見すると、ただ話をつないだように見えるが、全く違う。)言わば全編を通じて、アクション―リアクションの実験を延々やっていると言ってもいい。監督の言葉を借りれば、これが映画の強度になっている。時として、ただのおしゃべりにしか見えないことの中にこそ、重要なことがあり、そういう体験こそ他者に開かれることで、僕らにも共有出来る何かを感じることが出来る。続編も製作中だそうだ。
今日は午後から、脱原発のデモに久しぶりに行ってきた。多くの人が参加していた。ただデモコースが、通行人が少ない通りが半分ぐらいだったのがちょっと残念だった。せっかくのデモンストレーションなのに。
僕が最近、気になっていること。福島第一原発事故後、原子力関係に進む科学者が少なくなるのではないか、と言われている。僕にはどうやってももう科学者にはなれないので、説得力はないと思うのだが、こういう事態になってしまったからこそ、原子力に関わる科学者が今まで以上に求められる、と思っている。まず、福島第一原発だけをとっても、メルトダウンした原発を廃炉にする技術は今のところないし、世界でも初めてのことだ。ここには英知が求められる。また、脱原発に向かうにしても、54基の原発を廃炉にして行くには多大な時間とコストと、同時に安全性が求められる。例え脱原発に向かったとしても、今までに蓄積された放射性廃棄物の処理をどうするか、という課題はなくならない。こうしたことをきちんと進めるためにも、原子力の知識は今まで以上に必要になるだろう。今どき、「科学者の使命」ということはあまり聞かないのだが、本来、科学は人びとを幸せにするためにあったはずだ。だから、これからは人びとを幸せにするためにも原子力の知識が必要になると思う。そこには、それなりに科学者を育成するためにお金もかかるだろう。そしてこれから理系に進み、科学者になる若い人たちも、人びとの安全・安心に役立つために、原子力を学んでほしい、と僕は思っている。
今日は夜、UPLINKで坂口恭平さんとのトークショーだった。あれこれ喋りたいことも考えていたが、話の流れから話せなかったこともちらほら。まぁ、そんなものです。坂口さんは数多くのトークショーをやってきている、百戦錬磨。横で聞いていた僕も面白かった。ともかくも、多くの方が来てくれてほっとした。