2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

2011/11/30 水曜日

「モダン・アート、アメリカン」展

今日は久しぶりに展覧会を見た。「モダン・アート、アメリカン」という展覧会。僕はそんなに美術史に詳しくないので、20世紀初頭のアメリカ美術、と聞いてもあまりぴんとこなかったのだが、エドワード・ホッパーの絵が展示されることを知って、どうしても見たくなったのだ。最近、無性にホッパーが気になっている。展示の最初の方に展示されていたリアリズム作品はアメリカの大自然を多く描いていた。その後、ヨーロッパの印象派の影響を受けた作品群は、技法だけでなく貴族的な雰囲気までアメリカに見出しているのは、発見だった。が、どうもこのあたりは、どこか借り物めいた気がしなくもない。と同時に、絵画が描く世界が白人のものであることも気になっていたが、別の部分で移民・他民族の作家も紹介されていた。(その中には岡山出身の国吉靖雄も含まれる。)僕が面白かったのは、やはり第二次世界大戦前後、アメリカの都市を描いた作品群だった。残念ながらホッパーの絵は2点だけだったが、「都会に近づく」という作品のどこか吸い込まれるような不気味さが強烈に感じた。その後、抽象絵画で世界の潮流をリードすることにもなるようだが、今回の展示作の中ではずば抜けて印象に残る作品は、僕にとってはそれほどなかった。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:03:20

『大津波のあとに』『槌音』

今日は『大津波のあとに』(監督:森元修一)と『槌音』(監督:大久保愉伊)という2本のドキュメンタリー映画を見た。(後者は短編。)先週、見に行ったのだが満員で入れず。上映が今週まで延びたので見ることが出来た。2本とも3・11の東日本大震災後、比較的早い時期に被災地で撮られた作品。まずは前者の感想。僕は映画を見ながら、とても複雑な気持ちになった。それは映画のせいではなく、自分の心持の問題。まず、映画は延々と続くがれきの山を移動撮影で映し出す。しつこいほど映し出す。この感覚はテレビではなく、まさに映画のリズムだ。仙台、東松島、石巻と移動しながら、被災した人々の姿も映し出していく。とても誠実な映画だった。一方、自分ではどこか物足りなさも感じていたのだが、では、その自分は何を求めてこういうドキュメンタリー映画を見ているのか、はたと考え込んでしまった。もちろん、映画が成立するいろんな要素を勘案して映画の良し、悪しを言うことは出来る。けれども、被災地を撮影したドキュメンタリー映画を見る時に、自分の中にどこか妙な「期待」があることに気付いたのだ。それはもしかして、痛切な悲劇なのか、それでも生きていくたくましさなのか、安っぽいドラマを見たいわけではないけれど、何かを知りたい欲望があるのだった。だけど、同時にそんな期待を持つことはとんだお門違いだ、ということも分かっている。では一体、被災地を描いたドキュメンタリー映画に僕は何を見たいのか、とんと分からなくなってしまった。とても多くのドキュメンタリー映画の監督が被災地に入り、映画が製作されている。多分、僕はそれらの映画を見るだろう。そして見るたびに同じような煩悶を持つのかもしれない。2本目の短編『槌音』は、監督の実家は大槌町にあり、被災した。かつて大槌町で撮っていた映像と3・11後の映像をコラージュして描いた作品。僕は、正直言ってかつての映像と今の映像の編集がもっと効果的に出来たのでは、という気がしたのだが、タイトルに「音」とあるように、昔の「音」から現在の映像につながっていく構成はよかった。ずたずたになった実家の映像を見ながら、僕だったらどうしただろう、どう思っただろう、ということを考えていた。はたして僕は自分の故郷で映像を撮れるだろうか・・・・。

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:40:20