2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

2011/8/18 木曜日

悩む/予告編/打ち合わせ

昨日、威勢よく「次は整音だ!」みたいなことを書いたけど、いざ整音をある方に頼もうと思うと、それなりの予算が必要な話であり、今回はどこからも助成などを受けず、完全に自己資金で制作している身にとっては、はたして本当に頼めるのか、など諸々の不安がよぎるのである。そんなことをつらつら考え、もうしばらく検討することにした。

ホームページには記載したが、9月9日には久しぶりに「船、山にのぼる」を新・港村で上映をする。完成してからすでに4年も経っているので、その後、僕は何をしてたのだ、ということを少しでも報告したほうがいいか、と思い、新作の一部(予告編的なもの)を2分半ほど上映することに決めた。実際、作業をしてみると意外とサクサク2分半の予告編が出来た。と言うわけで、9月9日、上映します!

夜、その新・港村で打ち合わせ。明日の上映に関して。お知らせが遅れましたが、明日の上映、ぜひ、お越しください!

『破片のきらめき』(2008年/80分)
http://www.geocities.jp/hahennokirameki/
監督:高橋愼二

精神科病院の中にある造形教室。
このアトリエには様々な困難を抱えながら生きている人たちがやってくる。アトリエを主宰する安彦講平さんは、彼らに寄り添って40年、共に在る、かけがえのない創作の場を創り出してきた。
カメラは、彼らとの10年以上にわたる交流をへて、現代には稀に見る“魂の創作の場”を捉えた。

■8月19日(金)19:30~21:30
上映&高橋愼二監督トーク

■場所:新・港村内スーパースクール(横浜市)
http://shinminatomura.com/

■料金:500円(ただし、新・港村入場料300円が別途必要です。)

■問合せ;ビデオアクト上映プロジェクト
(045-228-7996 [ローポジション気付] )
jyouei@videoact.jp

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:33:10

2011/8/17 水曜日

諸々の交渉、ひと段落

7月半ばから、新作で撮影させてもらった方々に念のため確認のために編集した映像を見てもらってきた。1シーンをカットせざるをえなくなったのは残念だが、今日、最後の方に見てもらうことが出来た。快く了承してもらった。加えて、映画に使用したい音楽に関しても使用許可がもらえた。これで懸案だった諸々はひと段落。次はいよいよ整音に向かわねば・・・。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:06:19

2011/8/16 火曜日

見る/会議

昨日、編集した新作を再び見る。今まで何度も見ていたシーンがなくなり、展開が唐突な感じは否めないが、一番重要で長いシーンはそのままあるから、本筋は変わらない印象ではある。まだ自分の中では馴染めない感もあり、もう一度、明日も見てみよう。

午後3時から某映画の製作委員会会議。こちらは9月3日に完成試写が決まっているので、もうあまり時間はないのだが、まだ完成していないので、心配ではある。引き続き、製作費のカンパを集めなければ。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:07:18

2011/8/15 月曜日

編集

新作の編集。諸般の事情でカットせざるをえなくなったシーンを断腸の思いでカットする。今日も一度全体を通して見たのだが、少しアンバランスになったこの状態がどうなのか、まだ客観的に判断できない。明日、もう一度見てみようと思う。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:09:32

2011/8/14 日曜日

アトミックサイト展

今日は暑い真昼間から自転車をえっちら漕いで、現代美術製作所に行って”アトミックサイト展”を見てきた。昨日見た展覧会が静謐だったとすれば、今日見た展覧会は心に爪をたてられるような、そんな気分になる展覧会だった。そういうことが悪い、と言っているわけではなく、3・11の原発事故を受けての展覧会であり、常にアクチュアルにアクティビストとしてアート活動をしてきたイルコモンズさんが監修しているだけあって、放射能下で生きることへの怒りが根底にあり、放射能下で生きなければいけないことが現実であることに向き合わされる、そういう意味だ。イルコモンズさんのビデオも全部見た。そして最後に、ユリア・レーザ+クラリッサ・ザイデル監督「レディオ・アクティヴィストたち/福島以後の日本のプロテスト」(60分/ドイツ/2011年)を見た。反原発のデモはマスコミがほとんど報道しなかったが、ネット上ではいくつも映像があった。が、よくよく考えてみれば、今のこの若者を中心にした反原発運動そのものを捉えたドキュメンタリー映画というのは、僕が知る限りなかったように思う。そういう意味ではドイツの監督が作った、というのは意味があると思う。ただ、僕の個人的な感想を言えば、素人の乱を中心としたデモの準備からデモへの生な感じは面白いのだけど、毛利嘉孝さんらの言説で背景を「解読」しようとしている部分がどうにも引っかかる。人によってドキュメンタリーに求めるものは違うと思うけど、僕はあまり解説を聞きたい方ではない。学者の方々の解説はそれ単体でどこかの文章として読めば納得出来る部分もあると思うのだが、反原発運動を一足飛びに日本の資本主義の矛盾、中東のような民主化革命と結び付けることに僕は抵抗がある。また、映画の中でこうした言説を聞くと、デモの生々しい感じが何か「回収」される気がしてしまうのだ。こういう見方はひねくれているのだろうか・・・。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:17:36

2011/8/13 土曜日

東京都現代美術館

今日は気分をリフレッシュさせたかったので、東京都現代美術館へ行ってきた。前にも書いたけど、世間的には不便な所にあると言われる現代美術館だが、僕の場合は錦糸町から建物前まで10分ほどでバスで行けるので近い。まずはフレデリック・バック展を見る。僕はいまだに現代美術館でジブリ絡みの展覧会をやることに違和感はある。(過去の展覧会は見ていない。)まぁ、それは今回置いておいて、フレデリック・バックの作品のことがさらに知られるきっかけになるならよしとしよう。フレデリック・バックは僕が尊敬する映像作家の一人だ。ご多分にもれず、昔、僕の場合も「木を植えた男」に感動したのだった。展覧会では、入口冒頭に「木を植えた男」がいくつかの章に分かれて上映されている。タイムラグがあっても見れるように、との配慮なのだろう。久しぶりに見ながら、3・11後のこの日本ではこれまでと違った見え方がする、と僕は感じていた。被災地ではまだまだ木を植えるというレベルになく、がれきの撤去すら大変だと思う。でも、僕はがれきを運んでいる人びと、一人ひとりが「木を植えた男」なのだと思う。と同時に、砂漠の不毛の地に木を植えることは出来たが(実はこの話もかなりファンタジーの要素が強い。事実、展示の中にバックも実話ではないと知ってショックを受けたがアニメ化した、という説明があった。)原発事故で汚染された大地の前で、放射能の除染すらまともに出来ていない、のが僕たちの現実だ。汚染された大地にも草木は生えるだろう。木を植える人もいるかもしれない。でも、かなり広範囲に人が住めなくなった、ということは受け止めなくてはいけない。本展覧会は3・11以前に企画されていたと思うけど、「木を植えた男」という寓話は3・11後の日本にとって色々なことを考えさせてくれると思う。その後、バックのスイス・フランス時代の絵画が大量に展示されている。自然や人びとの生活を丹念に見つめた視線は暖かく、いいと思う絵も多いのだけど、それほど強いインパクトも受けなかった。カナダに移住してから面白かったのは、僕の中で謎だったカナダのテレビ局で何をやっていたのかが少し垣間見えたことだった。そして、当然、「木を植えた男」を筆頭に撮影に使った原画が展示されているわけだけど、ここで驚いたのはツヤ消しのセルに色鉛筆で描いた絵が想像以上に小さかったこと。僕は標準がどうだかよく分からないのだけど、日本の商業アニメで使われている(今は過去形で使われていた?)セルはもっと大きかった、と思う。あの小さな世界から芳醇な世界に飛躍するのがアニメのマジックなのだろう。帰りしな、図録を買うか迷ったのだが、結局DVDを購入。この7月に展覧会に合わせて新装版が出たようだ。バックの作品集は一家に一枚、だと思う。

次に「名和昇平―シンセシス」展 http://www.mot-art-museum.jp/koheinawa/ を見る。以前、別の展覧会で見たことがった。今回、個展としてまとめて見れてよかった。情報、知覚、身体など難しく言えばいろんな要素で語れると思うのだけど、凛とした美しさ(見方によればグロテスクにも見える)を一貫して感じる。

そして最後に常設展にhttp://www.mot-art-museum.jp/collection/index.html に向かう。特集展示 石田尚志が良かった。僕は石田さんの名前は知っていたが、実は作品を見たことがなかった。今回の展示では、特に少し前の作品のようだが「海の壁―生成する庭」という3面マルチスクリーンの映像作品は出色の出来だった。近年僕が見た、映像系のインスタレーション・展示で最もよかったかもしれない。先の2つの展覧会を見に来る人は多いと思うけど、この特集展示、とりわけ「海の壁―生成する庭」を見ずに帰るのは大損だ、と僕は思う。ただ、常設展を「サイレント・ナレーター」というテーマでくくった展示は、今一つよく分からない展示だった。

約4時間、たっぷり楽しんだ展覧会だった。

未分類 — text by 本田孝義 @ 21:54:32

2011/8/12 金曜日

一難去ってまた一難・・・

前にも同じタイトルを書いたが、また一難去ってまた一難、という状況になってしまった。岡山の朝鮮学校ダイアローグの準備が終わり、今日、展示素材用DVDを郵送した。26日の設置の課題はあるが、とりあえず一つの峠は越えた形だ。一方、しばらく止まっていた新作の話。しばらく止まっていたのは理由があるのだけど、あまり詳しくは書けない。結論だけ書くと、現在編集しているものからあるシーンをカットせざるを得なくなった。映画が成立しなくなるような形にはならないが、とてもいいシーンだったので、映画の豊かさが少しそがれてしまうだろう。約8分のシーンだけど。この結論に至ってかなりショックを受けるかと思っていたが、自分でもどこかすでに答えを予測していたところもあって、意外と冷静に受け止める自分がいる。もっとも、実際に編集をやり直した時にどうなるかはまだ分からないので、その時は落ち込むかも。そもそも撮影出来たこと自体が何かの間違いだった、ということでもあるので、残念だけど覚悟を決めることにする。編集は多分、来週だな。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:33:48

2011/8/11 木曜日

編集終わる

8日・9日と撮影した12人のインタビューを編集した。13分半と14分半。当初予定より、ちと長い。もちろん、時間が決められているわけではないのだが、僕は今までいろんな映像系の展示(美術展での展示含む。上映ではない。)を見てきて、大体10分ぐらいが適当じゃないか、という感触を持っている。30分以上の長い作品だってもちろん、面白いものはいっぱいあるけど、多数の作家が出品する展覧会は決して1作品だけを見に来るわけではない。そんな時にいきなり、長い作品を見せられるとげんなりする。だから今回も10分程度でおさめよう、と思っていたのだけど、撮影した人が2名増えたので、少し長くなってしまった。まぁ、15分以内だからぎりぎり許容範囲か。いずれにせよ、26日に設置してみないとどういう作品になるか分からない。そこが面白いところであり、怖いところであり・・・。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:55:55

2011/8/10 水曜日

撮影

27日から開催される、”朝鮮学校ダイアローグ”に展示する映像の撮影のため、岡山に行っていた。当初、3日間を予定していたのだけど、順調に撮影が進んだので2日間で切り上げて今日、東京に帰ってきた。今回は岡山朝鮮学校の卒業生6人と朝鮮学校がある藤田地区住民の方6名、計12名のインタビューを撮影した。おおよそ10名ほどの撮影を考えていたので12名を撮影できたよかった。本来は僕自身がリサーチから始めなければいけないところだけど、そこまでの時間はとれなかったので、実行委員会の方々にある程度あたりをつけていただいておいた。それでも、撮影しながらアポを取ったりしながら進めていたので、まぁ、順調にいったということだろう。(そう言えば、共同通信岡山支社の取材もあった。)インタビュー映像は、教室の隅2か所(対角線上)に投影予定。明日以後、編集。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:37:32

2011/8/7 日曜日

準備

明日から3日間、岡山で”朝鮮学校ダイアローグ”に出品する作品の撮影。諸々、再度、ビデオカメラをチェックする。今回は顔だけのインタビュー映像を流す予定なので、考えるところがあって4:3で撮影しようと思っている。だから、久しぶりに前に使っていたカメラを使う。撮影が順調に進むことを願う。

それにしても、諸般の事情で新作の製作が止まっているからこそ、新・港村の準備と上記撮影が出来るというのは、良かったのか悪かったのか複雑な心境。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:06:59

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