東京都現代美術館
今日は気分をリフレッシュさせたかったので、東京都現代美術館へ行ってきた。前にも書いたけど、世間的には不便な所にあると言われる現代美術館だが、僕の場合は錦糸町から建物前まで10分ほどでバスで行けるので近い。まずはフレデリック・バック展を見る。僕はいまだに現代美術館でジブリ絡みの展覧会をやることに違和感はある。(過去の展覧会は見ていない。)まぁ、それは今回置いておいて、フレデリック・バックの作品のことがさらに知られるきっかけになるならよしとしよう。フレデリック・バックは僕が尊敬する映像作家の一人だ。ご多分にもれず、昔、僕の場合も「木を植えた男」に感動したのだった。展覧会では、入口冒頭に「木を植えた男」がいくつかの章に分かれて上映されている。タイムラグがあっても見れるように、との配慮なのだろう。久しぶりに見ながら、3・11後のこの日本ではこれまでと違った見え方がする、と僕は感じていた。被災地ではまだまだ木を植えるというレベルになく、がれきの撤去すら大変だと思う。でも、僕はがれきを運んでいる人びと、一人ひとりが「木を植えた男」なのだと思う。と同時に、砂漠の不毛の地に木を植えることは出来たが(実はこの話もかなりファンタジーの要素が強い。事実、展示の中にバックも実話ではないと知ってショックを受けたがアニメ化した、という説明があった。)原発事故で汚染された大地の前で、放射能の除染すらまともに出来ていない、のが僕たちの現実だ。汚染された大地にも草木は生えるだろう。木を植える人もいるかもしれない。でも、かなり広範囲に人が住めなくなった、ということは受け止めなくてはいけない。本展覧会は3・11以前に企画されていたと思うけど、「木を植えた男」という寓話は3・11後の日本にとって色々なことを考えさせてくれると思う。その後、バックのスイス・フランス時代の絵画が大量に展示されている。自然や人びとの生活を丹念に見つめた視線は暖かく、いいと思う絵も多いのだけど、それほど強いインパクトも受けなかった。カナダに移住してから面白かったのは、僕の中で謎だったカナダのテレビ局で何をやっていたのかが少し垣間見えたことだった。そして、当然、「木を植えた男」を筆頭に撮影に使った原画が展示されているわけだけど、ここで驚いたのはツヤ消しのセルに色鉛筆で描いた絵が想像以上に小さかったこと。僕は標準がどうだかよく分からないのだけど、日本の商業アニメで使われている(今は過去形で使われていた?)セルはもっと大きかった、と思う。あの小さな世界から芳醇な世界に飛躍するのがアニメのマジックなのだろう。帰りしな、図録を買うか迷ったのだが、結局DVDを購入。この7月に展覧会に合わせて新装版が出たようだ。バックの作品集は一家に一枚、だと思う。
次に「名和昇平―シンセシス」展 http://www.mot-art-museum.jp/koheinawa/ を見る。以前、別の展覧会で見たことがった。今回、個展としてまとめて見れてよかった。情報、知覚、身体など難しく言えばいろんな要素で語れると思うのだけど、凛とした美しさ(見方によればグロテスクにも見える)を一貫して感じる。
そして最後に常設展にhttp://www.mot-art-museum.jp/collection/index.html に向かう。特集展示 石田尚志が良かった。僕は石田さんの名前は知っていたが、実は作品を見たことがなかった。今回の展示では、特に少し前の作品のようだが「海の壁―生成する庭」という3面マルチスクリーンの映像作品は出色の出来だった。近年僕が見た、映像系のインスタレーション・展示で最もよかったかもしれない。先の2つの展覧会を見に来る人は多いと思うけど、この特集展示、とりわけ「海の壁―生成する庭」を見ずに帰るのは大損だ、と僕は思う。ただ、常設展を「サイレント・ナレーター」というテーマでくくった展示は、今一つよく分からない展示だった。
約4時間、たっぷり楽しんだ展覧会だった。