新・港村/『幸せな時間』
今日も横浜の”新・港村”に行ってきた。先日のVIDEO ACT!の設置が十分に出来なかったので、やっぱり気になって今日も行ってみた。まだまだ施工中のものも多かったけど、とりあえずVIDEO ACT!が出展するブースは立ち上がっていたので、カタログ等を並べる。モニターとDVDデッキも設置したが、電源がまだきていなかったので、仮のチェックだけ済ませてきた。電源関係は、BankARTに任せることにしよう。
夜、VIDEO ACT!の第56回上映会。上映した作品は『幸せな時間』というドキュメンタリー。第2回 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバルで観客賞を受賞した作品だ。監督は横山善太さんだが、本作は孫娘が自分の祖父母を撮った作品。一見、典型的なセルフドキュメンタリーのように見えながら、撮影者が編集していないので、微妙に異なる。(もっとも、僕は最初の10分ぐらい、混乱していたのだけど。)僕は映画の構造よりも、つい、自分の父のことを思いながら見ていた。話は脱線しますが、と言うのも、数日前、重松清さんの傑作「その日の前に」をやっと読んで、身近な人が亡くなる話を読みながら、そこでもつい父のことを考えていたのだった。もう亡くなって4年以上経つのに、自分の中でも何か引っかかることがあるからだろう。(具体的には死期を告知出来なかったことがずっと引っかかっているのだと思う。)そんなわけで、父と息子、祖父母と孫娘ではかなり違うのだけど、病気や痴呆を患った身内にカメラを向けることは何なのか、と考えてしまったのだった。僕はほんの一瞬、父を撮らなければ、と思ったけど、結局1秒も映像は撮らなかった、撮れなかった。その点、祖父母にカメラを向けることが出来た撮影者は幸せだ、と思った。だから、僕はそのことを含めて、いいタイトルだな、と思った。と同時に、撮影者は祖父母を深く愛していると同時に冷酷でもある、と思った。映像は一見、とても美しくいい表情がいっぱいあるのだけど、視点を変えればカメラを向ける残酷性も含んでいる。(もちろん、どんなドキュメンタリーにだってそれはあるけど。)その引き裂かれた状態がこのドキュメンタリーにはあると思う。(その是非ではない。)他にも僕は入院して3週間で亡くなった父は、いわゆる介護を必要としなかったので、そのことを考えたりしていた。上映後の打ち上げで、議論百出したのは珍しく、家族関係は千差万別だからいろんな受け止め方が出来るのだと思う。上映会ではすすり泣きが聞こえていた、ことを付け加えておきたい。