2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
2011/5/12 木曜日
午前中、牛込箪笥区民センターにて、6月11日に開催する”平和のためのコンサート”の舞台打ち合わせ。今年も僕は舞台監督。(と言うほど大げさではなく、ほとんど進行役なのだけど。)やはりちゃんと打ち合わせしなければ分からなかったことがいくつかあり、今後、要確認、となった。あとは本番前のリハーサルで確認だ。ところで、僕はこういう舞台関係のことに詳しくないので知らなかったのだが、新宿区内のいくつかの公共ホールは震災で被災し、使えなくなっているところがあるらしい。幸い、今回のコンサート会場は大丈夫だったらしいのだが。
その後、事務所に行って、昨日編集が終わったものに、字幕などをつけていく。編集をやり直す可能性が高いのに字幕を付けるのは無駄骨とも思えるが、これも確認の意味でつけてみた。それから2回、見た。段々自分でも分からなくなった。こういう時は時間を置くのがいいのだが、さてどうするか、また考えよう。
未分類 — text by 本田孝義 @ 0:16:26
2011/5/10 火曜日
今日も日中、事務所にて編集作業。とりあえず、ラストシーンがない現時点で最後まで編集を終える。当然、まだまだ長いのだが、めちゃくちゃ長い、というほどでもない。(2時間の映画が最初の編集で4時間になったりすることもあることを思えば。)それがいいことなのかどうかは、微妙なところだが。まだ通して見ていないので、明日はゆっくり通して見ることにしよう。
夜、某映画の実行委員会会議。映画の完成後を見据えて、上映の話に。どの程度役に立つか分からないが、僕が分かる範囲で意見を言う。こちらもどうなりますか・・・。
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:26:50
もう毎日同じことばかり書いているが、しょうがない。編集の終わりが見えてきた。初めのつなぎなので、長さも気にせず、今考えられるように終わりまでつないでみる。(終わりと言いつつ、まだ最後のシーンは撮れていないのだけど。)はたして映画になるのかならないのか、期待と不安が交錯する時間。
未分類 — text by 本田孝義 @ 0:46:01
2011/5/8 日曜日
昨晩、疲れているにも関わらず、夜更かしをしてしまい、朝、ちょっと頭がもうろうとしていた。でも、事務所に行ってモニターの前に座った時には、頭はすっきりしていた。引き続き編集を進める。はたして自分の中の予定通り終われるかどうか・・・。
未分類 — text by 本田孝義 @ 22:50:29
2011/5/7 土曜日
一旦、編集を始めてしまうと、とにかく最後(現段階の)まではいってしまいたい、と思うもの。荒削りではあるのだが、とにかくやってみよう。
原発に関する精力的な記事を掲載し続けている、「週刊現代」に故・高木仁三郎さんに関する感動的な記事が載っていた。2000年に亡くなられた、高木仁三郎さんは間違いなく日本の、世界の反原発運動を理論的にも運動的にも支えてこられた一人だった。今、福島原発の事故が起きて、高木さんが歩まれた苦難の軌跡をもう一度振り返る、とても感動的な記事だった。僕は残念ながら、高木さんにお会いすることはかなわなかったのだけど、僕が初めて映画館で公開したドキュメンタリー映画『科学者として』を見てくださり、推薦文をよせてくださった。今思えば闘病中だったのだと思う。もう一度、高木さんの警告を思い出さなければいけない。
未分類 — text by 本田孝義 @ 22:27:00
2011/5/6 金曜日
やっとではあるが、編集に入った。と言っても、今回の編集で全てを仕上げるつもりは毛頭ない。全体の調子をみつつ、終わりをどうするか考えるためでもある。とは言え、やり始めると神経は使うわけで・・・。
未分類 — text by 本田孝義 @ 22:41:05
2011/5/5 木曜日
今日は午前中、カット表とにらめっこ。実際に編集してみなければ分からないことも当然多し。
午後、メイシネマ祭に行って『大丈夫。―小児科医・細谷亮太のコトバ―』(伊勢真一監督)を見る。伊勢真一監督の最新作。前作『風のかたち』の姉妹編、と聞いていたが、音楽でいう変奏曲のようでもあった。いつも風景が美しい伊勢監督の作品だけど、本作ではさらに風景のショットが多く、内省的なものも感じる。それもそうで、本作では小児がんで亡くなった子供たちのことと(ちなみに小児がんは今では不治の病ではなく、7~8割の子どもが治るそうだ。前作『風のかたち』は小児がんと闘っている子どもたちのキャンプの様子を中心に描かれている)長年、小児がんに向き合ってきた医師の細谷亮太さんの俳句が数多く紹介されている。まるで生と死の境界の淡さとでも言うか、事実を元につづられているけれど抽象的な世界にも感じられる。それでも、ふと心が勇気づけられる、そんなところが伊勢監督らしいと思う。
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:12:48
2011/5/4 水曜日
今やゴールデンウィーク中の”下町のドキュメンタリー映画祭”としてすっかり定着した感のある、メイシネマ祭。昨年が大きな区切りの20年ということで、今年はついに21年目に突入。代表は燃料屋さんの藤崎和喜さん。僕はこの上映会で何本映画を見てきただろう。こうして、こつこつと上映している方がいるからこそ、僕のような製作者にとってもとても励みになる。今日は2本のドキュメンタリー映画を見た。1本目は『うつし世の静寂(しじま)に』。(監督:由井英)舞台は川崎市。川崎市と聞くと、僕などは新興住宅地、あるいは工業地帯という浅いイメージしかないのだけど、この地にも昔ながらの伝統が今でも息づいていることを丁寧に描き出した作品だった。題材はとても興味深かったのだけど、僕の感覚では、少しばかりナレーションが多いように思った。「あまり知られていないことを伝える」という意識が強いと一歩間違えば「教えてあげる」になりがちで、僕のようなひねくれた人間はつい反発してみたり。2本目は『南回帰行 橋本梧郎と水底の滝・第一部』(監督:岡村淳)。もしかすると、今、最も多作な日本人の(岡村さんはブラジル在住だけど)ドキュメンタリー映画の監督は、岡村淳さんかもしれない。ご本人も今日おっしゃっていたが、ゴールデンウィークに来日されて、ここメイシネマで新作を上映するのがもはや風物詩みたいになった。今作は過去に2本の作品でも主人公だった、博物学者・橋本梧郎先生(当時95歳!)の「最後の旅」を描いた作品。岡村さんの映画の大きな特徴・魅力は、岡村さんがカメラを回しながら大きな声で質問したり笑ったり、作り手の反応が見えること。僕は通常、カメラ越しの製作者の声と言うのはあまり好きではないのだけど、なぜか岡村さんの声は気にならない。いや、むしろ今や「芸」にすらなっているようにも思う。本作では、橋本先生と連れ合いの女性(名前失念)との関係や橋本先生の頑固さ、あるいは昭和天皇との複雑な関係など今まで以上にパーソナルな部分が伺える作品だった。全3部作の予定だそうで、早く2部・3部も見たいと思った。今日、あらためて思ったのだけど、これまで多くの作品を拝見して、フィルモグラフィーの分厚さにはブラジルに渡った日本人の大きな大きな歴史が見えてくると思う。それはすごいことだ、と思う。
未分類 — text by 本田孝義 @ 22:16:22
2011/5/3 火曜日
今日は午前中、多摩川に行ってきた。会いたい人には会えなかった。その後、吉祥寺へ。しばし楽しい時間を過ごす。
夕方、事務所にて作業の続き。
未分類 — text by 本田孝義 @ 21:48:03
2011/5/2 月曜日
突然ではあるのだが、いやもっと前からだった可能性が高いのだが、自宅の電気温水器が大変なことになってしまった。自戒を込めて、恥を忍んで書いておこうと思う。そもそも、ここに引っ越してきたのは約6年前。風呂や水道の温水が電気であることは知っていた。見た瞬間、ああ、エネルギーの大いなる無駄遣い、と思ったものの、マンションの9階、リフォーム物件などなど他にも諸条件からここに決めたのだった。個人的なことを離れて脱線して書くと、今、東京では福島第一原発事故の影響で、電力不足が心配されているけど、本当は2001年から全国的には電力需要は下がっているのだ。そのことに危機感を持った電力会社は(本当は環境負荷などを考えれば喜ぶべきことなのに)遮二無二電力需要を「作りだす」ことに力を注いだ。その典型例が、かの「オール電化」というやつだ。そもそも、エネルギー効率を考えれば、熱(発電)→電気→熱(ヒーター等)というのが一番悪い。だから、IHヒーターや電気温水器、あるいは電気ストーブなどが一番エネルギーの無駄、ということになる。近年、地球温暖化防止などという無茶苦茶な論理で原発の増設を進めようとしていた背景には、上記のようなマッチポンプの構図があったわけだ。だから、自分ではオール電化とは思っていなかったけど、電気温水器(いわゆるエコ・キュート、というやつ)を使っている人間はかなりの部分で原発増設に手を貸していた、ことになる。本当に節電を考えるなら、電気を熱に変えることはやめなければいけない。そんなことがありながら、昨日、自宅の電気温水器が傾いていることが判明。3月11日には、マンションの別の部屋で温水器からの漏出で大騒動になったから、僕はチェックしていたはずなのだ。だから、多分、その後の余震のどこかの段階で、一気に傾いたと思われる。さすがにやばいので、今日、急遽業者に点検してもらったのだが、結論から言えば、破損個所があるので新しいものに取り換えなければいけなくなった。約34万円也。だけど、メーカーも今回の震災の影響で部品がなく、新品がいつ入れられるか、時間がかかる可能性があるらしい。怖いのは漏出が起きる可能性があること。場合によっては、使うことを直ちにやめて、明日から銭湯、かもしれない。まだ決断は出来てないのだけど。いずれにしても、マンションの構造上、電気温水器を使い続けなければ、風呂には入れない。恥を忍んで書く、と書いたのはこのことだ。奇しくも、今、作りつつある映画では、家とインフラの話が出てくる。奇しくも、現在のマンションの脆弱性を自ら感じることになってしまった。
中途半端な時間になってしまったが、事務所に行って構成を考える。いい話が多々あれど、全体の中にはどうも納まりきれないことがいっぱいあることが徐々に分かってきた。編集前に、もう少し考えよう。
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:36:26
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