構成
相変わらず、カット表を作っているのだが、時々、構成のことが頭をよぎる。まだまだ本格的に構成を考える前なのだけど。前作「船、山にのぼる」は基本的に進む時間通りに並べていったので、そういう意味ではそれほど複雑な構成にはなっていない。今度の新作では、大胆に時制を変えようと思っていたのだが、これまでの映像を見直しながら、そうではない方がいいのかもしれない、とも思ってきたりした。まぁ、やってみないと分からないのだけど。
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
相変わらず、カット表を作っているのだが、時々、構成のことが頭をよぎる。まだまだ本格的に構成を考える前なのだけど。前作「船、山にのぼる」は基本的に進む時間通りに並べていったので、そういう意味ではそれほど複雑な構成にはなっていない。今度の新作では、大胆に時制を変えようと思っていたのだが、これまでの映像を見直しながら、そうではない方がいいのかもしれない、とも思ってきたりした。まぁ、やってみないと分からないのだけど。
前にも書いたように、今回の大震災で今製作中の映画は、最後が近づきながら大きく変転してしまった。そのこととは別に、今、これまで撮影したものを見返しているのだが、約1年前、撮り始めた時の、最初のシーンは「もしも地震が起きたなら」という仮定の下行われたワークショップだった。このシーンはカメラのことや、諸々の構成上のこともあって、省こうかと思っていたのだが、もしかすると今では逆に妙なリアリティーを持ってしまったのかもしれない、とも思う。同様に、ことさら地震を強調したいわけではないのだが、いろんなところで地震のことが語られていて、省けない、重要な要素であることをいまさらのように気づいたりする。そのことに引きづられてはいけない、と思いつつ、大切な要素でもあったのだと思う。
今日は午後から『タケオ ダウン症ドラマーの物語』(監督;常田高志)というドキュメンタリー映画の完成試写会に行ってきた。映画はとても気持ちがいい作品だった。主人公の新倉壮朗(たけお)くんは天性のリズム感を持っている。映画を見始めて数分でそのことを確信した。そしてタケオくんはダウン症でもある。映画はこのタケオくんがアフリカンドラムの本場、セネガルでのワークショップに参加した姿と、ホームムービーで記録された成長の記録、音楽の才能を開花させていく姿が並行して描かれていく。僕はまったく余計なことだが、今、自分が考えている映画の構成と似た点があることが気になって見ていた。(もっとも、僕の構成は今後変わる可能性もあるのだが・・。)ワークショップの映像は美しく撮られていて、この映画の骨でもあるのだが、僕はほんの少しだけの物足りなさも感じた。と言うのは、冒頭に書いたことと関係するのだが、ワークショップに参加した時点で、タケオくんのスキルはかなり高く、そこでののびしろが見えにくいこと。もっとも、セネガルのトップミュージシャンとのセッションは熱くて見ごたえたっぷりでワクワクする。そのタケオくんも11歳のころ、初めてアフリカのドラムに出会った時はまだまだ戸惑っていて、1年後の映像でとんでもなくうまくなっている映像には驚く。もうひとつ、本作のお楽しみはかの常田富士男がナレーションをやっていること。最近DVDが発売されたが、僕らの世代では当然「日本昔ばなし」の声として耳に残っている。ナレーションは落ち着いて、ゆっくりと心に染みてくる。ほんの少しだけ欲を言えば、わずか、ほんのわずかナレーションが多い、と思った個所が何箇所かあった。簡単に言うと、ちょっとダメ押し、というか言わなくても雰囲気で伝わってくる部分があったのだ。上映後はタケオくんとワガン・ンジャエ・ローズさんのミニライブ。楽しい。会場も皆スタンディングで大盛り上がり。
時々、ドキュメンタリー映画の編集は完成図のないパズルに似ているかも、と思うことがある。(前にも書いたか。)さすれば今の僕の現状は、最後のピースが見つからず、全てのピースを吟味している、そんな状態なのかもしれない。
インタビューではないのだが、カット表を作るにあたって、長々としゃべっているシーンの文字おこしをする。正直言うと、文字おこしは苦手。でも、ここを越えないと次が見えてこないからなあ。
夜、某映画の実行委員会会議。今後の展開など。
いまだ撮影は終わらないので、気分的には編集にかかれる状態ではないのだけど、(いや、本当に勤勉な監督なら、撮影中も作業をするのかもしれないけれど)、色々と考えるところがあって、本格的な編集はもう少し先かもしれないが、編集にかかる前段階としてカット表を作ることにした。世の中には編集が大好きな監督もいると思うのだが、僕自身も構成等を考えるのは好きだけど、その前段階のカット表を作るのはやっぱりなかなかに面倒だ。1カットごと、時間と内容を記述していくのは地味で時間がかかる。少し極論を言えば、全カットを記述しなくても、大雑把な「感覚」だけでも物理的に編集自体は可能だ。けど、編集中に必ずいろんなことを迷うわけで、その時のガイドとしてカット表は役に立つ。本当はもっと大事なことは、自分が何を撮ったのかを冷静に見極めることなのだけど。(今回の場合、いつもより早めに作業を始めようと決めたのは、はたして今後最後のシーンを撮れるのか、何を撮るのかなどの不安があるから、その筋道を見つけたい、という気持ちの方が強いと思う。)