間が悪い・・・
諸々、間が悪いことが重なって少しイライラ。そういう時もある。
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
先日、駅のホームでふと気付いたのだけど、コーヒーの自動販売機にCM映像が流れていた。(そう言えば、前にも他の自販機でもあったか・・)また、数年前からだと思うけど、最新式の電車の車両ではニュースやCMの映像が流れるようになった。昔『トータル・リコール』というSF映画を見た時に、電車内に映像が流れていて、近未来の設定とは言え、「こんなことないよなあ」なんて思っていたら、あっさり現実のものになっている。『ブレード・ランナー』に影響を受けた建築家たちが「映像的建築」というポストモダン建築を作った時代もあった。そうそう、最近はキオスクの店頭でもCMが流れていた。(スーパーなどではもう当たり前になった・・・。)小田急新宿駅では柱までが映像を流す柱になっていた。液晶モニターの発達が背景にはあると思うのだけど、こうも映像に囲まれていると、やっぱり過剰だなあ、と思うことが増えた。
1982年というのは、SF映画の歴史の中でも特筆すべき年だった。(おじさんのノスタルジーも含まれていますが。)この年公開されて、当時は必ずしも評価されなかったが、後々、語り継がれている映画がある。『ブレード・ランナー』『E.T.』『ダーククリスタル』そして『トロン』。(『E.T.』は大ヒットですが。)僕は『ダーククリスタル』以外は当時、映画館で見た。『トロン』は、期待が高かったせいかそれほど面白いとも思わず、ずっと関心もなかったのだが、後年、どうしたわけか新しい世代からそのビジュアル評価が高まり、僕もあらためて見直してみて、なるほど、と思ったこともあった。(ちなみに、デザイン的に重要なのは『ブレード・ランナー』でも活躍したシド・ミード。)
前置きが長くなったが、そうした近年の再評価の声もあって、新しい技術で作られたのが、続編となる『トロン レガシー』。予告編を見た時から期待は高かったのだが、どうにも微妙な映画だった。僕が不満だったのは、せっかくの3Dの効果があまり感じられなかったこと。次に、前作の主人公を出したことはファンには嬉しいかもしれないし、前作とのつながりではいいかもしれないが、少々薄味の父子ものになってしまったのはどうか。もうひとつは、(これも実は前作でもそうなのだが)ライトサイクルのシーンが早めにあって、見せ場としては後半息切れしていること。そのライトサイクルのシーンも立体的にした点は「工夫」ではあるものの、ビジュアル的には意外と前作の直角に曲がるバイク、の方がカッコいいと思う。特にバイクの光跡が壁になる、という設定は直角だからこそ意味があったのであって、普通に曲がれる上で光跡が壁になるのは分かりにくいし、あまり効果的とは思えなかった。そしてもっと大きく言えば、1982年にはコンピューターが今ほど発達していなかったので、プログラムとユーザーの関係というのは新鮮だったかもしれないが、新作の『レガシー』内のコンピューター世界は基本的にそれほど進化しているようには思えず、前作の世界観を踏襲しつつ新しいものを付け加えるという試みはあまりうまくいっていないように思う。僕はコンピューターって全然詳しくないのだけど、これだけネットが発達した時代ならではのコンピューター内の世界、というのもあってよかったんじゃなかろうか。その辺、やっぱり日本のアニメの方が進んではいるよな、とも思ったり。
今日は昼過ぎにK’s cinemaに行って、『友川カズキ 花々の過失』の初日に顔を出す。先週末、上映素材の作業をしていたのはこの作品で、自分が素材を作った(作業としてはマスターからコピーしただけですが)からには、劇場で見てみないと、と思った次第。僕は次の用事があったので、冒頭20分ほどしか確認出来なかったのだが、映像・音とも大丈夫だったと思います。多分、こういう経験は、自分の作品作りにも役立つはず。
その後、バイオハザード予防市民センターの幹事会へ、今年最後の会議。その後、忘年会。皆さん、僕より年上だけど、談論風発。
見ようかどうしようか、と少々迷ったのだが、上映が今日までだし『マジでガチなボランティア』というドキュメンタリー映画を見に行った。やっぱりドキュメンタリー映画は、見れる時に見ておかないと。この映画と同名の本が出ていて、一時、ギャル男だのギャル農業だのという言葉が飛び交って、実体はともかくとして何となく嫌な感じ、を持っていた。でも映画はどこか引っかかる部分があったので、見た次第。見た眼はチャライ(けど、医大生なんだよね)大学生がボランティアに目覚めて、カンボジアに学校と診療所を建てようとする。ボランティアと言ってもお金の集め方はクラブでのイベント。この辺が、今どき、ということなんだろう。暗い顔してやるより、明るくやるほうがいい、と僕も思う。さて、映画ですが、冒頭、とてもいいシーンがあって、ちょっと戸惑う。こういうシーンって、普通、クライマックスじゃないの、と思ってしまった。テレビのドキュメンタリーでは最近、よくある手法ですが。で、ここまでの道程をこれからたっぷり見せてくれるのかな、と思っていたら、意外と早くもう一度同じシーンが出てきて、ちょっと拍子抜け。もうひとつ、構成で気になったのは、数年前の出来事を当事者が振り返って語るインタビュー。確かにこういうインタビューがあると何があったのか、何を考えていたのかよく分かるのだけど、どこか乗りきれない気分にもなる。難しいところだけど。(加えて画面がインタビューだけワイドになるし。)その点、最後のシークエンス、主人公が大学を卒業して、今年、再びカンボジアを訪れて診療所の様子を見に行くところはよかった。全体的にとても前向きでポジティブでいいのだけど、どこかお尻がむずむずするような居心地の悪さも感じてしまったのは、僕がひねくれているせいだろうか。僕は前向きな映画は好きなのですが。
今日は、夜、月一の(来月が最終回ですが)検証・日本のメディアアクティビズムに行ってきた。今回は「身体的メディアの実践」というタイトルが付いていて、ぱっと見、何の事だか分からないかもしれないが、「メディア」と言うととかくテレビとかネットとかが取り上げられることが多いのだけど、もっと体の延長にあるようなメディアも大切ではないか、という話。若いのにやたら日本の一時代前の文化・運動に詳しい、細谷修平さんが司会。まず最初に五味正彦さん(模索舎元代表)が、なぜ、どうやって模索舎を作ったか、という話を。加えて、自主出版の歴史にもなっている。次に、成田圭祐(Irregular Rhythm Asylum)さんがラティーノのパンクシーンを映像で紹介。ご自身の活動も紹介。その後、質疑応答になったのだが、法政大学の話題が出たので、Ustreamの音声モニターをしていた身でありながら、つい、喋ってしまった・・・・。(実は個人的に伏線があって、昨日、たまたま録画してもらったテレビ番組で、現在の法政の状況を見ていたので、ムラムラとその光景を思い出してしまったからでもありました。)なんだか最近、法政づいている・・・。なぜだ?
日中、あるドキュメンタリー映画の構想が頭を駆け巡る。僕自身が監督をしたい、というわけではなく、どちらかと言えばプロデューサー的な立場での関わりなのだが。はたして・・・。
上記の件とは関係なく、資料的に溜っていたビデオを3本見る。
夜、VIDEO ACT!会議。
先週末から読みだした長大なノンフィクション「コロンバイン銃乱射事件の真実」を読み終わった。これまた500ページを超えている。けれども一気読み。アメリカのコロンバイン高校で起きた銃乱射事件は1999年のこと。もう10年が経つ。本書を読むと、詳細な事件の全貌を書くには10年が必要だったことも分かる。なぜなら、あまりにもセンセーショナルな事件だったため、当初の報道にかなり誤りがあったからだ。当然、ここ日本ではアメリカ経由の情報がほとんどだったので、僕も違ったイメージを持っていた。その中でも一番違っていたのが、「トレンチコート・マフィア」というイメージだろう。本書を読むと犯人の2人が犯行時トレンチコートを着ていた(それも途中で脱いでいる)のは単に銃を隠すためだったようで、トレンチコート・マフィアと呼ばれるような一団には彼らは加わっていなかったようだ。また、背景に「いじめ」があったという報道も多かったようだが、実際はそんなことはなかったらしい。こうした事件では、日本も同じだが、すぐ犯人の「動機」が詮索される。事件直後の短い時間では、少ない情報から判断が語られる。でも、そう簡単に分かるものではない。コロンバイン高校の事件では、犯人2人が自殺しているため、事件後本人から語られることはなかった。(そのことが殺された人の遺族、けがをした被害者、地域の人びとにどのような憎悪が渦巻いたかも克明に書かれれている。)だが、2人は日記をかなり書いていたり、犯行を決意してからはビデオもいっぱい撮っていた。それらから、捜査官、そして著者は主犯と言われるエリックをサイコパスだった、と結論付けている。(どちらかと言えば従属的な共犯だったディランは自殺願望が強かったようだ。)僕にはその結論の妥当性はよく分からない。けれども、事件発生の日から克明かつ冷静な描写で事件前・当日・事件後の10年を書いた本書は傑出したノンフィクションだと思う。
約2カ月前から始まった、自宅マンションの改修工事がほぼ終わりに近づいてきた。ベランダや玄関扉の塗装も終わった。猛烈なペンキの匂いに頭が痛くなったこともあったけど、確かにきれいになった。
諸々の予定がくるって時間が出来たので、『ロビン・フッド』を見た。監督・リドリー・スコット。本作は伝説上の義賊とされているロビン・フッドの「誕生譚」とも言うべき映画で、同時に巧妙に12世紀のイギリスの歴史・実在の人物を絡めて描いた作品。と同時に、リドリー・スコットファンの方々にとっては、『キングダム・オブ・ヘブン』の続編的性格も持っている。ロビン・フッド役はすでにリドリー・スコットと4度目コンビとなるラッセル・クロウ。予告編のイメージだとまるで『グラディエイター』。通常のレベルで考えれば十分面白い作品だった。けど、いわゆるリドリー・スコット印とも言うべき凝った照明・撮影などは今回かなり抑え目で、その辺は少し不満。もっとも、映画を見ながら、なんとなくリドリー・スコットが今までの歴史もの(本作が5本目となる)から比べると、どことなくリラックスして撮っている雰囲気も感じた。どうしてなのだろう、とつらつら考えていたら、もしかすると、イギリス出身のスコットではあるが、僕の記憶に間違いがなければ、イギリスを舞台にした作品(実際に撮影した場所ではなく、作品の舞台として)は実は今作が初めてではないか、ということに気付いた。そんなことも、少しは影響したのかも、と思った。『エイリアン』以後、すっかりハリウッド映画の監督というイメージが一般的かもしれないが、僕の中ではどこまでいってもイギリスの監督なのだ。それにしても、リドリー・スコットはすでに73歳。現在、『エイリアン5』の準備中だからこれまた楽しみ。