18年前の亡霊
昨日、うっかりクリスマスと書いたけど、今日がクリスマスでしたね。昨日はイブでした。
そんなクリスマスに僕は18年前の亡霊に出会った。まず、午後から法政大学にて「大学が未来にわたすもの―法政大学55/58年館の再生を考える」というシンポジウムに参加した。建築ジャーナリストの磯達雄さんに声をかけてもらった、ということもあった。法政大学の校舎に1955年と58年に建てられた校舎がある。僕自身も一番馴染んでいた校舎かもしれない。(もっとも、僕の場合は映画サークルに入り浸りだったので、校舎に居た時間は圧倒的に少ないけど。)(大学を卒業したのはもう18年前だ。)その校舎の建て替えが決まった、ということがあって、歴史的にも重要な建築物だと考えた建築家の方々を中心にシンポが企画されたようだ。シンポの前に校舎見学会。僕は在学中、建築には興味がなかったので、建築的観点からの説明は興味深かった。その後、シンポ。正確なことは分からないけど、建築関係者が多かった印象。同時に、現役の法政大学生はどれだけいたか。シンポを聞きながら、同じ建築家の大江宏さんが設計された53年館の話が出て、僕が在学中に解体案が出ていたことを思い出した。当時の学生は建築的視点はほとんどなかったけど、「市ヶ谷再開発」の名で大学の管理強化が進むことを危惧していた。また、こうした再開発は後々の学生の学費値上げという形で跳ね返ってくるので、学費値上げ反対運動が起きた。僕も自分なりに関わったけど、総長団交までいったけど、撤回させることは出来なかった。この時、学生の広範な支持が得られなかった反省もあると同時に、教授たちにも無視されていた記憶がまざまざとよみがえってきた。少なくとも、キャンパスがきれいなるから、市ヶ谷再開発は歓迎されていたはずだ。また、当時の学生が主張していたのは、たとえ再開発するにしても、キャンパスを使う学生の意見も聞いてほしい、ということだった。まぁ、結局、学生の声は無視され、その後の再開発は進む。僕にとっては、数年前に学生会館が解体されてしまったことにいまだに納得できない思いもある。(同時に、何も出来なかった自分にも忸怩たるものがある。)僕らが危惧したように、再開発と同時に、法政大学はどんどん管理を強化し、ついに立て看板・ビラを配っただけで逮捕される大学になってしまった。55年館・58年館建て替えの話を知った時に思ったのは、僕らが在学中に始まった再開発・管理強化の総決算なのだろう、ということだった。だから僕はパネラーの方々が、法政大学の自由な校風を強調していることに違和感を覚え、つい、上記のようなことを発言してしまった。だから、もし、55年館・58年館を残すのであれば、同時に、自由な校風の再生が伴われなければいけない、と思うのだ。また、僕らの失敗から言えば、現役の学生、そして未来の学生からも支持されるようにしないといけない、と思う。多分、校舎の建て替えには膨大な経費がかかるはずで、未来の学生の学費への負担が増えるだろう。僕が入学した頃は、私立でありながら、学費が安かった(だから僕も通えた)けど、今はかなり高いはずだ。これだけ、学生が少なく、経済格差が広がる社会で、高い学費は大学にとってはデメリットになるに違いない。今の大学の理事会はどういう展望があるんだろうか。
法政大学に自由な校風があったとすれば、この日、僕が夜経験したことも、その証の一つだろう。夜は下北沢に行って、シネトレ・シネフェスタという上映会に行った。30分おしで見た『進化』という作品は正直僕にはよく分からなかった。次の映画を見ようと思ったら、映写機のトラブルで上映が始まらない。やっと1時間おしで始まったのは、井土紀州+吉岡文平監督の『第一アパート』。1992年の作品で、僕が大学を卒業する年に出来た8mm映画。僕は役者として出演している。当時、法政大学には7つ映画サークルがあり、大体300人ぐらいいたはずだ。全国の大学の中でもかなり活発だったほうだと思う。『第一アパート』の場合は、サークルの垣根を越えて製作された。僕自身、当時も分からなかったし、今日、18年ぶりに見ても自分の役が何だったのかいまだに分からない。主人公にしか見えない、過去の亡霊か、妄想のたまものか。映画の冒頭から登場するから、重要な役ではあったのだろう。それにしても、この映画が18年後に上映されているなんて思いもしなかた。だからスクリーンの自分の姿を見ながら、自分の18年前の亡霊を見ているような気がした。映画は怖いです。その後、帰ろうと思ったのだけど、駅でばったり文平君(当時、こう呼んでいたと思う)に合ったので、ちょっとだけ打ち上げに参加。