法政映画祭
法政大学は僕の母校。その法政大学には映画サークルが複数(僕の在学時は7つ。今は6つ?ちょっと分かりません)あって、各々独自の活動をやりつつ、横の連携もはかる意味もあって、法政大学映画団体協議会(略称:映団協)、という、なにやら物々しい名前の団体がある。僕の記憶に間違いがなければ、僕は1989年度の映団協議長だった。(議長、なんて書くと政治団体っぽいですが協議会という名前なので議長、だったのでしょう。もっとも、70年代に出来た団体なので少しは政治的ニュアンスがあったのでしょう。)で、今日はビクターの中岫さんに誘われて、その映画団体協議会が主催する法政映画祭に行ってきた。(中岫さんはゲスト審査員。)僕の在学中はこういう映画祭はなかったけど、前期・後期に合同上映会をやっていた。僕自身は別に法政大学に行くことを避けてきたわけではないけれど、やはり学生会館がなくなってからはとりわけ行きづらい、という気持ちはある。それでもせっかくのお誘いなので出かけてみたのだった。午前10時半から上映が始まり、短編・中編含めて10本の上映。上映時間の関係で予選会をやって上映作品を選んだのだそうだ。上映サークルは4団体だった。作品を見ながら、ふと僕らの学生時代はどうだったか、ついいろんな作品のことが頭をよぎる。個々の作品評は省略しますが、全体的に気付いたことを大雑把に書くと、基本的にみんなうまい、ということ。多分、僕らの時代は8mmフィルムということもあって、技術的にはもっと下手だったような気がする。と同時に、今の学生の作品は繊細な作品が多い印象を受けた。だが繊細さはひ弱さにも通じていて、もっと図太い、滅茶苦茶な作品があってもいいと思った。ゲスト賞、会場賞は僕がいいな、と思った作品と一致した。話は少し変わるのだけど、今回の映画祭に合わせて批評紙が創刊されていた。またまた昔話をすれば、僕が学生だった頃は合同上映会の後に必ず批評紙を出していた。だからとてもいいことだと思う。その批評紙にシアターゼロが持っていたサミュエル・フラーのフィルムのことが書かれていた。なぜ法政大学にこうしたフィルムがあるのか分からない、とあったので、元シアターゼロでもあった僕は、自分が知っている範囲で事情をお伝えした。さすがに20年は一昔。加えて、僕らが大事なことを伝えてこなかったのも事実。もうひとつ、昔話を思い出した。今日の映画祭で映像研究会の作品が4本あってうれしかった。と言うのも、このサークルは古い由緒ある映画サークルなのだけど、僕が入学した頃はサークル員がおらず休眠サークルだった。他の6サークルには全部で約300人もいたのに。僕は別の映画サークルに入っていたのだけど、諸般の事情があって僕も含む何人かで映像研究会を復活させた。(その時のサークル員の一人が映画監督・脚本家で活躍中の井土紀州だ。)他のサークルに比べて人数も少ないし、また休眠しちゃうかも、などと思っていたら、20年後の現在も活動中とあって少し感無量。