2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

2010/3/11 木曜日

『ビルマVJ 消された革命』

世の中には命がけの取材、というのがある。秘境や厳しい気象条件での撮影などもそうだが、圧政が強いられている場所での取材も命がけだ。先日発表された、アカデミー賞ドキュメンタリー部門では、残念ながら受賞にはならなかったが、ノミネートされていた作品『ビルマVJ 消された革命』(英語のHPはこちら。予告編も見れます。)は、そうした取材で出来たドキュメンタリー映画だ。事実、日本でもニュースで大きく報じられた、2007年に兵士に射殺されたジャーナリスト長井健司さんの映像もこの映画に出てくる。(現在の軍事政権を認めない人たちは、ミャンマーではなく、旧国名ビルマを使うことが多い。だから、映画のタイトルと同じく、以下、全てビルマと表記。)今日、試写で見ることが出来た。VJとは、ビデオ・ジャーナリストの略。もっとも、僕は意図的に、クラブなどで活躍しているビデオ・ジョッキー=VJのニュアンスも含むのかな、などと思っているのだが。前置きが長くなってしまったが、ビルマの軍事独裁政権のもとでは、ビデオカメラを持って取材すること自体がかなり危険を伴う。それでも、ビルマの現状を伝えたいと思った、ビデオ・ジャーナリストたちは小型カメラを隠しながら、街頭デモの様子を撮り続ける。この映画は、彼らが取材した映像を編集して、1本のドキュメンタリーにまとめたもの。興味深いのは、小さなデモが何度か繰り返され、さらに僧侶たちが立ち上がり、10万人規模のデモに膨れ上がっていく、そのうねりの過程が見れることだ。特に感動的なのは、政治には介入しないはずの僧侶たちが、抗議の意思を示すため、托鉢の鉢を逆さにして裸足で行進する姿だ。沿道の方々の表情を見ていると、僧侶が尊敬されていることがよく分かる。しかし、この大規模な抗議行動は、軍隊に鎮圧されてしまう。軍隊がトラックで駆けつけるシーンは、どんな映画よりも恐ろしい、背中がぞっとしたシーンだった。その直後、冒頭に書いた、長井さんが射殺される場面となる。映画は、こうしたVJたちの映像をつなぎつつも、もうひとつ、ドラマチックな要素が加わっている。身の危険を感じたVJ、ジョシュアがタイに逃げ、そこからビルマ国内のVJたちと連絡を取りながら話が進むのだ。この映画の主人公とも言うべき、ジョシュアのシーンは再現シーンだ。一つには、現実には撮影されていなかった、もう一つには顔を明かすことは生命の危険がある、などがあると思う。こうした演出の是非は意見が分かれると思うが、僕は「あり」だと思った。デモの映像が、どれだけ緊迫した中で撮影されたかを伝える方法としては、間違ってはいないと思う。また、もう一つ重要な演出は、撮影された映像をカメラの液晶画面や、撮影した映像が海外のニュースや「ビルマ民主の声」(本部がオスローにある衛星放送)で流れるのをモニターで見ているシーンが何度も出てくる。こうしたシーンは、一度、映画内で取材シーンを相対化する映像だ。これらの演出から分かるかも知れないが、この映画の監督は、ビルマのVJではない。デンマークのアンダース・オステルガルド、という監督だ。

僕は映画を見ながら、この映画を見てほしい人が何人も浮かんだ。また、特に強く見てほしいと思ったのは、日本の仏教徒、僧侶の人たちだ。たとえ異国の地、考え方の違いはあると思うのだが、ビルマで立ち上がって弾圧された僧侶の姿をぜひ見てほしいと思う。僧侶だった父が生きていれば、僕は父に強く勧めただろう。また、ジャーナリズム、あるいはメディア論を勉強しているような学生にも見てほしい、と思った。もちろん、今のビルマの状況を憂慮し、アウンサン・スーチーのことが気になっている人たちは言わずもがなであるが。5月シアター・イメージフォーラムにて公開。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:48:44

2010/3/10 水曜日

「居住の貧困」

またまた最近読んだ本を。「居住の貧困」本間義人著を読んだ。現在、派遣切りなどで住む場所を強制的に追い出される実体から始まり、なぜ、こんなに住む所がないのかを歴史を俯瞰して解き明かしている。特に、本来、公共住宅を充実しなければならないはずの公団や自治体がこぞって、自由主義経済に雪崩をうって金儲けに走っている実態を批判的に検証している部分は迫力がある。最近、憲法25条の生存権が取り上げられることが多いわけですが、衣食住の住、住む所は生存権でも重要な部分のはずです。もっともっと語られるべきだと前々から思っています。そういう意味でも新書という分量で簡潔に分かりやすく問題を指摘した本書は好著だと思う。

僕は『ニュータウン物語』を作る時に、それなりに日本の住宅政策を調べました。ニュータウンといういびつな街の成り立ちは、こうした住宅政策と関係が深いからです。ただし、映画はそうした批判的な視点からではなく、それでもそこで生きてきた人びとの思いを重視しました。ニュータウンや郊外を切って捨てるような言い方に違和感があったからです。

次に作りたい映画は、「居住の貧困」に関係はあるのですが、もう少し違った視点から、根源的な視点から見てみたい、と思っています。

未分類 — text by 本田孝義 @ 21:58:57

2010/3/9 火曜日

映画の本2冊

映画関係の本を2冊読んだ。まずは、「勝つために戦え!監督編」押井守著。同じタイトルの前作はサッカーを中心としたスポーツでの勝負論で、僕にはよく分からない本でしたが、本作は「監督編」とあるように、様々な映画監督を俎上に挙げて、押井さん独特の視点から勝負論が語られる。面白いのは、ジェームズ・キャメロン、宮崎駿、タルコフスキー、北野武、ゴダールなどなどの映画論にもなっている。もっとも、いわゆるアカデミックな映画論ともまた違う。アニメと実写を行き来しながら作品を作っている、実作者ならではの視点が独特だ。所々暴論も飛び出すので、怒る人もいるだろう。勝負の分かれ目は、「自分が作りたい映画を作り続ける」ことだそうだ。「自分には大ヒット映画がない」から映画を作り続けることが出来る、とどこか自虐的に語るのは、押井守さんの本心かどうか分からないけど。いろんな意味で面白い本だった。

次に読んだのは、「ザ・シネマハスラー」宇多丸著。僕はよく知らないのですが、宇多丸という人はヒップホップの人で、この本はTBSラジオの放送をまとめたものだそうだ。面白いのは、好きな映画を語っているだけじゃなくて、毎週、次に見る映画をサイコロで決めているそうで、中にはあまり見たくもない映画もありそうだ。けど、放送だから「つまらない」の一言で済ますわけにもいかず、なぜつまらないのかにも説得力がある。元の語りをいかしつつ、かなりちゃんと映画を見ているのがすぐ分かって、うなずける部分多し。(あ、そう言えば、上の押井さんの本もインタビュー形式で、語り本だった。)難しい用語をこねくり回したような映画論はあまり好きではないので、こういう本なら楽しく読める。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:58:12

原稿2つ/作業

ある原稿2つを書く。

夕方、事務所に行ってハイビジョン収録のビデオテープに関していくつかのチェック。うまくいかず。再度トライすることに。

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:37:18

2010/3/7 日曜日

アース・ビジョン 第18回地球環境映像祭 三日目

今日もアース・ビジョン地球環境映像祭へ。すでに見たことがある作品が2本あったので、今日見たのは2本。1本目は『国境のない鳥』。内容をコピペすると、アジアの湿地に生息するクロツラヘラサギは、 台湾から中国、韓国から北朝鮮へと渡る。 この絶滅の危機に瀕する鳥を守るため、国境を越えて、人々の協力が生まれていく、というもの。台湾の作品。ディーン・ジョンソン監督。最初の方からいかにもテレビ的な作りに少々、がっかりしていたのだが、見続けるにつれ段々引き込まれた。上記の内容に書いたように、クロツラヘラサギが北にわたるのを追っていくのだが、驚いたのは南北朝鮮の非武装地帯が営巣地になっていること。人間がいないからこそ、鳥が住める、というこの矛盾。同時に、この鳥を守るため、人間もなんとか国境を越えて様々な活動をしている姿も描かれる。映画を見ながら、そうか、これは平和の鳥なんだ、と思っていた。プロデューサーもトークで同じことを言われていて深くうなずく。いい作品でした。2本目は『雨の物語―大台ケ原 日本一の大雨を撮る』。内容をこれまたコピペすると、ハイスピードカメラや気象観測用のジェット機など 最新技術を駆使して撮影された、神秘的な雨の姿。 雨が育む豊かな自然を瑞々しい映像で綴る、というもの。NHK作品。 内浦崇監督。この作品がアース・ビジョン大賞。NHKらしく物量作戦で大台ケ原の自然を描く。確かに、よく撮ったなあ、とは思ったが、僕の中ではそれ以上のものを感じられなかった。

未分類 — text by 本田孝義 @ 21:44:28

アース・ビジョン 第18回地球環境映像祭 ニ日目

少し遠回りな話から。2月末、『船、山にのぼる』の撮影を手伝ってくださった、林憲志さんが地元広島の神石高原町で上映会をされた。1本は『記憶と記録の間で』。もう1本が先の映画で監督・構成をされている、鈴木敏明さんが同じく構成をされている『食卓と海』だった。僕が関わっているVIDEO ACT!でもこの作品の販売をしているのに、見ていなくて、見たいなあ、と思っていた。そう思っていたら、同作品が今年のアース・ビジョン賞をとっていて、今日、上映されたのだった。だから、見に行った。前半、具体的なデータをたっぷり紹介しながら、日本の漁業がいかに衰退していったかが語られる。なかなかにジャーナリスティックな作り。後半、そうした現在の日本でもいろんな工夫を重ねながら、漁業を守っている人たちの姿が描かれる。思わず胸が熱くなる。35分という短い時間に関わらずいろんなことを考えさせてくれる、充実した作品だった。上映後、鈴木さんにご挨拶。次に見たのは、『ミツバチのブルース』。オーストラリアの作品。ステファン・ムーア監督。最近話題となった、ミツバチの大量死。本作はその原因を追う。特にミツバチに寄生するダニに焦点を当てている。欧米のドキュメンタリーによく見られるようなアップテンポで語られる。原因究明や外来種(ここではアジアミツバチ)の侵入阻止活動などまるでミッション・イン・ポッシブルのような趣。全作品上映後、銀座ミツバチプロジェクト副理事長・田中淳夫さんの講演。銀座のビルの屋上で養蜂をしている、という話題は聞いたことがあったのだが、具体的な話を聞くと、目からうろこが落ちるようなことばかり。特に興味深かったのは、銀座周辺には緑がかなりあって(例:皇居)、ミツバチが受粉する環境があるのだとか。そして、このプロジェクトが始まって4年、いろんな形で波及、大きな夢が広がっていることも語られていた。

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:51:16

2010/3/6 土曜日

アース・ビジョン 第18回地球環境映像祭 一日目

見たい映画があったので、アーズ・ビジョン 地球環境映像祭に行く。1本目は『水俣からの伝言―海と山と町の言葉』。内容をコピペすると、「山のもんと海のもんがつながれば、まちは、どげんかなる」 環境の破壊が何を引き起こすのかを知った水俣の人々はいま、 再生のために動き出し、循環型社会のモデル都市を目指す、という作品。熊本県民テレビ製作。園田文彰監督。水俣が生き生きと再生に向かっている様子がよく伝わってくる。少し残念なのは、多くの事例を紹介したい熱意が、幕の内弁当のようにも見えて、ぐっと入り込む感じはなかった。それでも、こういう作品こそ、全国放送で放送すべき。2本目は『おじいさんの古代米―雲南の小さな村から』。これも内容をコピペすると、多国籍企業の種を使った農業がもはや主流となった中国の農村。 古代の赤米を有機農法で育てようとする試みが始まった、というもの。中国の作品。監督はリン・ヅーヅァン。題材も登場人物も興味深いのだけど、描き方がごちゃごちゃしていて、なかなか心の中に立ち上がってくるものがなかったのが残念。3本目は昨年、見たくて見れなかった『ビューティフル・アイランズ』。これも内容をコピペすると、南太平洋のツバル、イタリアのベニス、アラスカのシシマレフ島。 気候も文化も異なる島で人々に育まれてきた、祭り、伝統工芸、水辺の暮らし。 気候変動に揺れる世界の美しい島のいま、を見つめる、という作品。海南友子監督。撮影は南幸男。お二方とも面識がある。とにかく、ハイビジョンで撮られた島の映像が美しい。ドキュメンタリーで久しぶりにまともな(?)撮影を見た気がする。ナレーションも音楽もなくつながれていく映像は、映像詩のよう。全体としても、大作。(3カ国の取材を思うと・・・。)それでも、実は、途中まで美しすぎるのではないか、などいくつかの疑問が頭の中で渦巻いていたのですが、途中から映像のリズムが体になじんできたせいか、余計なことは頭から消えていった。個人的には、高潮で水位が上昇し、水浸しになったヴェネチアの映像が衝撃的だった。美しい建築・街並みと相まって、まるでSF映画のように感じた。ラストの水が押し寄せるツバルの映像も印象的。見ながら思っていたのは、地球温暖化・水位上昇・水没という話題はそれこそニュースでいっぱい見てきたけれど、そこがどういう場所でどいう人がいるのかをちゃんと見ていなかったことに気づく。今夏、劇場公開とのこと。多分、話題になるに違いない。

未分類 — text by 本田孝義 @ 1:04:15

2010/3/4 木曜日

『牛の鈴音』

今年の正月映画として、昨年12月から公開されて随分時間が経ってしまったが、韓国のドキュメンタリー映画『牛の鈴音』をやっと見ることが出来た。まず、大雑把な感想を言うと、僕がもっとも嫌いなタイプの映画だった。内容は老夫婦と老牛の生活、というもの。別にこういう内容が嫌いなわけでは全然ない。嫌だったのは映画の演出。まず、音が僕には耐えられなかった。原題は知らないが、映画のタイトルにある、老牛が首につけた鈴の音がひっきりなしに映画の中で鳴っている。僕が見た限りでは、現場で録音された鈴音はほとんど使っていなくて、編集後の仕上げの段階でかなり鈴音を足している。ひどいシーンでは、どう見ても鈴が揺れていないシーンにまで鈴音は鳴る。また、遠近法もかなりいい加減で、遠くに牛が映っていようが、近くに映っていようが鈴音の鳴り方・響かせかたが一定で耳にうるさい。リアリズムの鈴音ではなく、一種の心象表現として鈴音を使っているのも理解できるのだが、こうした使い方は映画の中で、あるポイント、印象づけるポイントで使ってこそ意味があるのであって、ただ鳴っていればいい、というものではない。他にも、鳥や蛙の鳴き声もかなり足されている。僕は、音を足すこと自体は別にかまわないと思っている。自然であるべき、とも思わない。事実、『船、山にのぼる』だって、かなり音を足しているし、カットまるごと音を変えているカットさえある。要は、どういう効果を及ぼしているか、ということなのだ。僕は『牛の鈴音』はきわめて不自然で過剰、と思ったのだ。このことは、撮影・編集にも言える。全編、劇映画のようなカット割りが続出する。あまり映画に詳しくない方にも分かりやすく書くと、劇映画では人の会話を全身・上半身・顔のアップと分けて撮影し、編集でつなぐことでいかにも会話しているように見せている。場合によっては、場所を説明するためのロングショットが入ることもある。ドキュメンタリー映画の場合、こういう撮影はかなり難しい。ただし、複数台カメラを使えばもちろん出来る。(他にも方法はあるが。)いずれにせよ、劇映画のようなカット割りを意図的に導入しなければ出来ないことだ。この映画の場合、魅力的なおじいさんを撮るときも、しばしば効率的に引きとアップの映像がつながれる。また、老夫婦の会話にしばしば牛のアップが挟まれる。(劇映画的に言えば、牛がいかにも二人の会話を聞いているように見える。)僕は、音と同じで、こういう演出が全て悪い、とも思わない。何が嫌だったかと言えば、この映画が描く、素朴でしみじみとした(はずの)世界と演出の過剰さが不釣り合いだと思ったのだ。もっとも、人によってはしたたかな演出、という人もいるだろうけど。(もっと言えば、気にならない人の方が多いのだろうけど。)

・・・ということとは別に、僕は映画を見ながら、牛を飼っていた僕の亡くなったおじいさんのことを思い出していた。映画のおじいさんと同じように、朝早くから草を小さく切る作業をしてたっけ。牛を売った時、僕も牛が泣くのを見たっけ。おじいさん、おばあさんもよく喧嘩してたっけ(けど仲がよかった。)。韓国でヒットしたのは、こうした郷愁を誘ったからなのだろか。日本ではどうか、よくわからない。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:02:51

2010/3/3 水曜日

下見/『アンヴィル』

どうなるか分からない新作ですが、どうしても見ておきたい場所があったので、下見。場所を眺めながらわくわくしてくる。

その後、見逃していた『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』をUPLINKで見る。僕はヘヴィメタ・バンドの歴史などには全く疎いので、80年代初頭、アンヴィルというバンドが日本の球場で演奏しているシーンから始まり、へぇーというぐらいの感想しか浮かばなかった。50代になった彼らが生活のためにバイトしながらバンドを続けている姿が写されていく。彼らは商業的な成功を収められなかったのだ。バンド活動もままならない、という話かと思ったら、意外とあっさりヨーロッパツアーに出るので、なんだ、ちゃんと活動出来てんじゃん、と思うもつかの間、観客は少ないは、ギャラはもらえないはといいことなし。後半は新作のレコーディングのすったもんだがありつつ、最後は再び日本でのライブ。ドキュメンタリーとしては、意外とオーソドックスで、過不足なく関係者のインタビューが挟まれる。演奏シーンも意外と短い。(あまり聞かせると荒が出る、と思ったのかどうか。)そういう部分では、ちょっと不満かな、と思っていたのだが、ラストシーンはちょっと感動的。日本のヘビメタファンは熱心なのだろうか。

未分類 — text by 本田孝義 @ 21:38:52

2010/3/2 火曜日

再始動に向けて

あまりぐじゅぐじゅと書くと愚痴っぽくなるから書かないできたのだが、昨年夏頃、2つの企画が撮影を始める前にとん挫してしまい、実質、制作活動はストップしてしまった。精神的には立ち直るのが早く、いつでも活動を再開する気持ちだけは持ち続けていたが、歯車がうまく噛み合わず、スタートは切れなかった。ドキュメンタリーの場合は、作る側のこちらの気持ち、都合だけではどうにもならない部分があり、あらためて難しいものだな、と思った。大した活動歴ではないが、これだけ間が空いてしまったのも初めての経験だ。まあ、なんとかなるさ、という気持ちと、なんとかしなくちゃいけないという焦る気持ちがなかったと言えば嘘になる。

春が近いから、というわけではないが、やっと冬眠から覚めることが出来そうな予感。前々から思っていた企画と少し違うが、根っこの部分は同じ。ただ、ドキュメンタリーの場合は、実際にやり始めてみないとどうなるか分からない部分がたくさんあるから、あまり詳しくは書かないことにする。

未分類 — text by 本田孝義 @ 21:24:10

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