2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
2010/1/31 日曜日
『板尾創路の脱獄王』を見た。面白かった。面白い、という噂は聞いていたけど、どこか疑ってた。見てみたら、面白かった。びっくりしたのは、とてもソリッドな映画だったこと。何せ、監督・主演の板尾創路は、全くしゃべらない。(1シーン、唐突に歌を歌うシーンはありますが。)もちろん、周辺の看守達はしゃべりますが、それも必要最低限ほど。ひたすら脱獄の様子を何度も見せながら全くだれることがないのは、映画としてちゃんと撮られているから。そして、昭和初期の設定だからというだけではなく、縦書きのタイトルも含めて、どこか昭和の匂いがする。確かに昭和時代には、2本立ての1本に、こうした小粒でも面白い映画があった気がする。ラスト近く、監獄島に行くのはちょっとやりすぎかなあ、と思っていたのだけど、全ての謎が判明するちょっといいシーンの後の「オチ」は反則すれすれで大笑い。
未分類 — text by 本田孝義 @ 21:40:18
2010/1/30 土曜日
昨年今頃の残念だったニュースに、東京ビデオフェスティバルが終わる、というものがあった。毎年、華やかな表彰式もさすがに昨年はどこか寂しい思いがあった。しばらくして、それまで長年主催者だったビクターは撤退したけど、市民の手で東京ビデオフェスティバル(TVF)を存続させよう、という動きがあることが聞こえてきた。その心意気は頼もしいなあ、と思いつつ、現実的には大変だろうなあ、と思っていた。それでも、作品募集までこぎつけ、ついに今日、「市民がつくるTVF」として装いも新たに生まれ変わって誕生した。入賞作品15本が上映されたプレ・イベントに行ってきた。TVFが面白いのは、ビデオ制作者の方々の幅広さ。年齢・性別・職業も幅広く、自ずといろんな作品があって楽しかったり、考えさせられたり。今回は新生TVFとして、応募作品がかなり減ったようだけど(多分、TVFは終わった、ということの方が知られていて、新しく生まれ変わる、ということがまだまだ知られていなかったのかもしれない。)作品の幅広さは健在だった。この幅広さがある限り、今後も面白いTVFでいてくれると思う。以前から関わっていた方々も大勢、スタッフとして関わっておられるようだ。15本一気に見て、表彰式などには出ずに帰宅。
未分類 — text by 本田孝義 @ 22:19:10
2010/1/29 金曜日
昨日出版されました、建築批評家の五十嵐太郎さんの新刊「建築はいかに社会と回路をつなぐのか」(彩流社刊)の<現代編>第Ⅰ部 都市の記憶、という章の中で「ダム建設がもたらした現代の祝祭」という文章で映画『船、山にのぼる』が紹介されています。ご興味がありましたら、ぜひ、お読みください。
詳細:http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-1475-5.html
未分類 — text by 本田孝義 @ 21:44:38
2010/1/28 木曜日
見なければいけない映画は多々あれど、病み上がりの頭ではついていけそうになく、けれども映画を見たい気分だけはあって、ぼうっと見れそう、という変な理由で『サロゲート』を見る。いや、他にも見たかった理由はあって、自分の分身のロボットを操る、というありがちな設定と予告で見た映像がちょっとディックっぽいなあ、と思ったからだ。ディックの小説は往々にして設定は安っぽいものが多く、その安っぽさの向こうからいろんなものが浮上するわけだ。で、『サロゲート』はというと、まあ、どうってことない映画でした。(予想通り、と言えば予想通り・・。)原作はグラフィックノベルらしいのだけど、確かに映画を見ながら、ふとディックの小説を思ったりして、ニンマリすることもあったのだが、その先が浅かった。
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:19:47
2010/1/27 水曜日
風邪はなんとか持ち直したようで、いつくかの雑用を済ます。
高村薫著「太陽を曳く馬」(上・下)を読み終わる。圧倒される読後感。ただし、本作も読みやすくはない。福澤家3部作としては、一応、本作がミステリー小説の体裁に一番近いが、中で描かれる話はなかなかに難しい。まず、前半で描かれるのは3部作の主人公ともいうべき、福澤彰之の息子・秋道の殺人事件。この秋道が画家という設定だから、美術論ががんがん語られる。こういう小説で美術論を読むとは思わなかったので、少し驚き。後半は、東京の禅寺で起きた人が死ぬ事故をめぐる話。高村薫の小説に何度も出てきた、合田雄一郎が禅寺の僧侶と宗教問答。そこにはオウム真理教が宗教と呼べるか、という、これまたかなり難しい宗教論が。こう書いてみると、とても小説とは言えないような、哲学書のような趣だが、不思議と筆力に支えられて、読むことが出来た。ラストでは、『晴子情歌』の冒頭シーンが繰り返され、同じく、手紙という形で幕が下りるが、宙づりにされたような、頭をかき乱されたような余韻が重く深く残る。こんな経験は久しぶり。読み終わって、しばし考えて思ったのは、では、高村薫は何がやりたかったのか、ということだったりしたのだが、今日、僕が思ったのは、ミステリー小説の解体だったのではないか、とぼんやり思ったりしている。通常、ミステリー小説では事件(多くは殺人事件)が起き、犯人探しが始まり、事件の背景、殺人の動機などが明らかになってくる。そういう意味では、本作の基本構造も実は変わらない。だけれども、事件の動機は簡単に説明できるものではないし、事件の背景にいたっては、前2部作を加えるととてつもない物語が横たわっていることになる。ミステリー小説を表面的に解体するのではなく、その奥深くに手を突っ込んで、力技でその構造をゆさぶっているように思うのだ。その試みはすべて成功しているとは思えないが、成功していない、容易に読み下せないごつごつした手触りを感じさせることの方が重要だと思う。とかく動機や背景が分からない事件が増えているように思える現代に、高村薫は真正面からぶつかっていったことは確かだと思う。恐ろしい小説だ。(全3部を通じて。)
未分類 — text by 本田孝義 @ 22:04:19
2010/1/26 火曜日
またまたですが、どうも風邪っぽい。頭が痛いので一日休む。
未分類 — text by 本田孝義 @ 22:20:26
2010/1/25 月曜日
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:08:35
2010/1/24 日曜日
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:46:46
2010/1/23 土曜日
今日はバイオハザード予防市民センターの会議(幹事会)。昨年末からの宿題だった、ある文章がとりあえず、大きな訂正もなく少し字句を直して使えることになったので、とりあえず、ほっとする。その他いくつかの検討課題を論議。
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:20:17
2010/1/22 金曜日
高村薫著「新リア王」(上・下)を読み終わった。決して読みやすい本ではないと思うが、一気に読めた。物語のほとんどが父と息子の会話でありながら、そこで語られる内容が政治と宗教の話だから重いのなんの。それでも、読ませる筆力というのはすごいものがある。特に父・福澤榮が語るドロドロした政治、青森が放射能の墓場となっていく暗さ。暗いけれど、生き生きとした描写。最後のほうで、高村薫の他の小説でも出てくる、合田刑事からの電話がありぞくっとした。次の作品で再登場だそうなので、また読むのが怖くて楽しみ。
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:22:09
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