「復讐するは我にあり」
佐木隆三著「復讐するは我にあり」読了。改訂版とのことだが、前を知らないので、どこがどの程度変わったのかはよく分からない。映画のほうはいまだに見ていない。
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
なんだか長々しいタイトルになってしまった。(映画の副題を書けばもっと長くなる・・・)
まずは12時に法政大学に行く。飯田橋にはよく行っているのだけど、キャンパスに入るのは5年ぶりぐらいかもしれない。特に学生会館が解体されてからは、心情的にもあまり行く気になれないでいた。それなのに行くことになったのは、このブログを読んでくれたキャリアデザイン学部(すごい学部名だ、僕が行ってたころはこんな洒落た名前の学部はなかったなぁ)の学生が僕を取材させてほしい、との依頼があったからだ。まぁ、深く考えず、お引き受けした次第。主に聞かれたことは「二十歳のころ」というテーマだったのだが、その頃、ちょうど先に書いた学生会館の運営に関わるようになったので、今の学生は全く知らない話をつい語ってしまった。考えてみれば、自分にとってあの頃に見聞きし活動していたことが今につながっている部分が確かにある。おっさんの昔話に聞こえなければいいのだけど。たまたま座って取材を受けていた向こうに、5年前までは学生会館が建っていた場所に、一見きれいな新しい校舎が建っているのが見え、なんとも落ち着かない気持ちだった・・・。
次に、ポレポレ東中野に行って、「映像の中の炭鉱」特集の2本を見る。まずは『炭鉱(ヤマ) 政策転換の戦い』。炭鉱労働組合が1961年に作った短編ドキュメンタリー。時期的には三池闘争が終結した後、多くの労働者が解雇され、炭住を後にし、閉山も相次いでいくしんどい時期だ。昔のニュース映画と同じようにほぼナレーションで語られていく。時々、はっとするようなカットもあった。驚いたのは、炭鉱での事故を描くシーンがまるでアクション映画のような短いショットをババッとつなげていること。こういうのが「劇的モンタージュ」とでもいうのだろうか。次に見たのは、土本典昭監督『はじけ鳳仙花ーわが筑豊わが朝鮮』。なぜか今まで見逃していた、土本監督の作品。上映時間が短い(48分)せいか、追悼上映でもあまり上映されていた印象がない。(僕が怠惰なだけ、かも。)と同時に、先日、目黒美術館で見た富山妙子さんの絵が強烈で、この映画はその富山さんのドキュメンタリーとのことなので、見られずにいられなかった。冒頭、骨の造形や色が強烈な大きな絵を制作している富山さんの姿。(この絵は後で展覧会図録を見ると「筑豊のアンダーグラウンド」という作品名だった)土本さんが聞き手となって、作者の意図などを聞いていく。後半、富山さんの絵と詞・物語(ナレーションは李礼仙)で構成されている。富山さんのシュールレアリスティックな絵柄と朝鮮人の強制連行の物語が強烈。僕は思わず「アヴァンギャルドだ!」と感嘆していた。また、最近のドキュメンタリー映画を見て音楽がいいなあ、と思うことはほとんどないのだが、相変わらず、土本さんの音楽のセンスは素晴らしい。ただ、いい音楽というだけではなく、どこで音楽が入り、どこで止むか、という呼吸みたいなものがいいのだ。(ちなみに音楽ももちろんよくて、高橋悠治。土本さんの作品ではこの少し前の『原発切抜帖』もそうだった。)誰か本格的に、土本作品の音楽(+音)について考察してほしい、と願う。少し話は戻るが、後半の富山さんの絵は、モノクロ(リトグラフ)。だけれども、赤や青など実に丁寧にライティングがされていて、こういう画面の作り方はあまり記憶にない。その色遣いも驚きだった。だからつい、上映後、トークの後に富山さん本人にこのライティングのことを聞いてしまった。土本さんには『水俣の図 物語』という作品もあり、アートドキュメンタリーとしても忘れてはいけないと思う。(富山さんのトークを聞いて、今年の越後妻有トリエンナーレで展示されていたことを知った。僕が回れなかった地域のようだ。見れなくて残念。)
今日はさらにもう1か所。イメージフォーラム・シネマテークで「映像の地下水脈#15」と題した上映会。『船、山にのぼる』の撮影を手伝っていただいた(船の移動シーンの多く)林憲志さんが撮影をされたドキュメンタリー(と一言では言えないような)『記憶と記録の間(はざま)で』を見に行った。以前、モニターでは見せていただいたのだが、スクリーンで見たかったのだ。今日が初めての一般上映。林さんも広島から車で駆けつけておられた。2度目を見て、スルメのような映画だ、と思った。噛めば噛むほど味が出る、そんな感じだ。初めて見た時は、正直言って、出てくる人たちがどういう人か分からず(でも、雰囲気から「活動屋」の匂いを感じる)戸惑った部分もあったのだが、今日、見てみるといろんな要素が重層的にいくつもあって、その層を見ていく面白さを感じた。映画は余命短いカメラマンが会津で友人たちの力を借りながら撮りたいものを撮影する姿を描いている。(監督は堀美臣、構成・鈴木敏明)次に、かわなかのぶひろさんの『新宿伝説2 マレンコフがいたのだ』(”のだ”をつけたそうだ)。今日の夕方まで編集をされていたそうだ。映画はまず、かわなかさん本人の生い立ちから始まる。かわなかさんは、今僕が住む、錦糸町生まれだそうだ。古いニュース映像が当時の雰囲気を伝えて面白い。そしてかわなかさんは新宿に出て、流しのマレンコフと出会う。後半、そのマレンコフ(もともとはソビエト第3代の首相名前)さんの芸能生活45周年と50周年のパーティーの様子。僕は新宿ゴールデン街には数えるほどしか行っていないのだけど、このパーティーの様子を見ていて、ああ、ゴールデン街って、こういう人たち、こういう所なんだ、というのがなぜだか伝わってきた気がした。(少し長くて疲れたけど。)そして、最後は小さなバーでギターを弾くマレンコフさん。街の中に消えていく後姿が何ともいえずいい。マレンコフさんは今年の9月に亡くなられたとのこと。大上典保監督が『NAGASHI~流し~その名はマレンコフ』というドキュメンタリー映画を作られていて、こちらは12月に完成上映会があるそうだ。見てみたい。上映後、その場で打ち上げがあったのだが、参加せず、帰宅。