2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

2009/11/23 月曜日

『沈まぬ太陽』

僕は山崎豊子の小説はほとんど読んでいないが、「白い巨塔」だけは特別で、中学生の時、テレビで再放送していた、田宮二郎版「白い巨塔」にはまって見ていたことがある。DVDも全巻持っていたりする。現在、テレビで放送中の「不毛地帯」は録画しているのだが、まだ一話も見ていない。大評判になった「沈まぬ太陽」も長くて、結局読まずじまいだった。まあ、そんな感じです。で、映画の『沈まぬ太陽』を見に行った。3時間半の長い映画。タイトルまでの時制を入れ替えた導入部のぎくしゃくした感じがいやだったが、しばらくして落ち着いた。映画そのものは、いいとも思わなかったが悪いとも思わなかった。演出は正攻法で、じっくり腰を据えて見れる作るになっている。主演の渡辺謙は、役にかける熱い思いを見たり聞いたりしていたから、つい、力のこもった、大熱演を想像していて、見る前はちょっといやだったのだが、意外と抑えた演技。それもそのはず、主人公・恩地は映画のほとんどのシーンでひたすら「耐える」人物なので、ぐっと言葉を飲み込む場面が多いからだ。個人的には石坂浩二、三浦友和もよかった。前半、労働組合の委員長だったことから左遷され、世界中に飛ばされる主人公を見ていて、ふと父のことを思い出していた。父も組合の運動で社内ではかなりいじめにあって、結局、体を壊して会社を辞めたのだった。後半の政界がらみの話は、いかにも山崎豊子原作、という気がしたのだが、見ながら、政権交代が起きて、JAL(映画では国民航空=NALという架空の航空会社だが誰が見てもJALがモデルなのは分かる。)の再建策が議論されている時に公開されるのは、絶妙なタイミング(製作中はそんなことになるとは思っていなかったろうけど)なのかもしれない。時としてそういうことは起きるものですね。原作は・・・読みたいけど長いからなあ。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:59:49

「‘文化’資源としての<炭鉱>展」

今日は午後から目黒美術館へ行って「‘文化’資源としての<炭鉱>展」という、何やら堅そうな名前の美術展を見に行った。どうしても見たい作品(後述)があったからなのだが、Part1の美術を見ていくと、自分の中に勝手な固定観念があったことに気づいた。大雑把に言えば、炭鉱をテーマにした作品の美術展なのだが、「炭鉱」と聞くと勝手にリアリズム絵画のイメージがあったのだが、いろんな作家がいろんなアプローチで絵を描いていたことがよく分かった。写真も同じで、一見、炭鉱の人々を撮っていても写真家のアプローチが全然違っていて面白い。いずれにしても、「炭鉱」という場所に多くの作家が魅了されていた、その奥深さが興味深かった。(11月28日からはポレポレ東中野で<映像の中の炭鉱>という上映もある。)で、一番見たかったのは、地下1階の区民ギャラリーを全面使った、川俣正さんの新作インスタレーションだった。地下に下りて行くと、木のにおいが漂ってくる。視界に開けた作品は、一見、炭鉱町のジオラマのよう。だが、普通のジオラマに感じるような、よく再現したなあ、というようなものとはまるで違う。それは、素材の荒々しさ、ぶっきらぼうさによるところが大きい。地面は段ボールとコンパネからなり、ボタ山と思しき山も板が重なったもの。この物質感は不思議だ。全体を見ながら、どうにも言葉で表現しようのない、ふつふつとした感情が湧いてきた。川俣さんはご存知のように、1996年~2006年、筑豊で「コールマイン田川」というアートプロジェクトをやられてきた。残念ながら、僕は現地に行ったことがない。今回のインスタレーションはこれから始まる、ご自身の出身地・北海道空知とドイツルールでのコールマインプロジェクトを展望するものとのことだ。タイトルはシンプルに「景」とあった。また長期のプロジェクトになるのだろうか。今後のことを含めてわくわくとさせられた。なお、コールマイン田川の10年間を総括した本が近々出るようだ。(蛇足ですが、今回の展覧会に合わせて来日ー川俣さんは現在フランスのパリ高等芸術学院教授ーされていて、BankARTでお会いすることが出来ました。ちょうどDVD発売日だったのでDVDが渡せてよかったです。)

未分類 — text by 本田孝義 @ 0:14:22