風邪ひいた・・・かも
朝起きると頭が痛い。風邪をひいたかもしれない。なんだかこんなことばかり書いている気がする・・・。
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
川本昭人監督作『妻の貌』を試写で見た。僕は以前、今回上映される前のバージョンを見ているし、この映画で挿入されるご本人の作られた短編もほぼ見ている。1度だけだが、川本さんとお話しさせていただいたこともある。今回、さらに追加された映像があると知って、どうしても見たくなった。あらためてこの映画は傑作だと思った。同時に破格の作品であることも思った。何せこの映画、川本さんがひたすら家族を撮り続けてきた50年の集大成なのである。2時間近い映画だが、写っているのはほぼ家族のみ。そういう意味では究極のホームムービーである。しかしながら、30年ほど前に作られた傑作『私の中のヒロシマ』(本作にも何度も挿入される)からしてすでにそうなのだが、きちんと「映画」として作られていて、「映画」としての意思が貫かれている。特に僕が好きなのは、川本さんの距離感だ。身近な人を撮るとえてしてべたべたに甘えた関係の中で撮りがちだけれど、川本さんが妻を撮る視線には適度な距離感があって品がある。だから「ホームムービー」という言葉から連想されるような、いやな感じが全くない。と同時に、身近な者にしか撮れない映像。川本さんの妻、キヨ子さんは被曝し、甲状腺の癌を発症し手術も受けている。だから何度もつらそうに寝ている姿が映し出される。そうした姿だけではなく、母の介護や身の回りの細々としたこと、子供・孫の成長なども丁寧に描かれる。今日、再度見て気付いたのは、あえて時系列をバラバラにして、突然30年前の映像が入ってきたりするものだから、いやがうえでも時間の重みを感じたのだ。このひと固まりの映像から受けるものは何だろう、と考えていたのだけど、それは「人生」としか呼びようのないもの。そして、この映画は声高に「原爆」「反戦」を描いた映画ではないけれど、たった10秒ほど原爆が爆発したことがこんなにも長く影響し続けるその重みを考えさせられる。ある家族の50年の記録としてももちろん破格なのだが、被爆の60年を見つめたこともまた破格だ。こう書いてしまうと重苦しい映画のように思えるが、とても艶やかな映画でもある。川本さんは映像を仕事としていない、いわゆる”アマチュア”と呼ばれる作家だ。この呼び方が正しいのだとすれば、言葉の真の意味での「アマチュア」かもしれない。「アマチュア」とは「愛する人」という意味だから。川本さんは妻を愛し、映画を愛している。
今日は平和のためのコンサート出演者のうちの”アンサンブル・ローゼ”の方々のリハーサルに行く。当日にリハーサルが出来ないから、見ておく必要があったのだ。アンサンブル・ローゼは声楽家のグループ。今回は3曲を演奏。しばらく聞いて、舞台を見ていたのだけど、どうもしっくりこないところがあったので、僕がアイディアを出したところ、採用された。これで少し見栄えがよくなった、と僕は思う。やっぱり、実際の会場でリハーサルは見てみるもんで、司会者や照明にも変更が出た。明日、変更箇所を直しておこう。
ちょうど今日あたりが見ごろだと聞いて、堀切菖蒲園に行ってきた。菖蒲園に行く途中にある、紫陽花の小道もかなり咲いていた。今日からお祭りのようで、園の外では和太鼓の演奏が始まるところだった。が、そちらは特に聞くことなく園の中へ。いろんな種類の菖蒲がいっぱい咲いていてきれい。もっとも、花には全く詳しくないので、種類の名前が書いてあっても、どういう違いがあるのかはよく分からない。なんとなく、背が高いの、低いの、色の違いなどあいまいな認識。そういうことは置いておいて、小一時間、園の中をぐるっと回っていい気分になって帰りました。
今日は夕方まで何もする気がおきず、ぼーっと本を読んでいた。別に何があったというわけではないのだが・・・。
夕方からやっとやる気をおこして、(まあ、単純に目の前の宿題から逃避していただけなのだがが・・)6月20日開催の”平和のためのコンサート”関係の書類作りをする。一つは、司会者用の原稿。もう一つは本番当日の舞台進行表。コンサート、と言っても、クラシック系の生音なので、そんなに大変ではないのだが、舞台監督としてはとにかくスムーズに進行させるために、舞台転換のことなどを整理しておく必要がある。加えて、照明も自分でやらなければいけないし。少々、不安なのは、昨年までは当日、朝から全ての出演者のリハーサルをやっていたので、その時に細かいことは微調整出来たのだけど、今年はホール使用の都合から、リハーサルなしのいきなり本番なところ。出演者の方々とは開演前のちょっとした時間でしか確認できないだろう。月曜日には、一組の出演者だけはリハーサル(練習)をするので、そこでまた確認しておこう。
5年前、沖縄の佐喜真美術館で「沖縄ソウル 石川真生×本田孝義」という展覧会をやった。沖縄在住の写真家・石川真生さんとのコラボレーションを目指した展覧会だったのだけど、僕にとってはいろんな意味で刺激的な展覧会だった。その石川真生さんの写真展が今東京でやっているので見に行った。展覧会は「日の丸」を視る目、という。どんな写真かというと、いろんな人に「日の丸」を掲げたり、持ってもらったり、とにかく日の丸を使って表現してもらった写真なのだ。右翼から在日からアイヌ民族、沖縄の人など写っている人々はいろんな人たち。日の丸の見せ方も色々で、思わず見入ってしまうものから、つい吹き出しそうになるようなものまで種々雑多。ずっと見ているうちに、日の丸を通して写った方々の生きざまが透けて見えてくるようで面白い。特に今回は約10年前に撮られたモノクロの写真だけではなく、カラーの新作も展示されていて、より鮮烈な印象があった。やはり日の丸は「白地に赤く」なのだ。見ながらふと思うのは、自分だったらどう表現するだろう、ということだったりする。う~ん、色々考えたけど、どうもうまく表現できそうにない。そういう意味では、写っている人たちはみんな表現者なのだ。そしてそういうふうに人々を乗せながらシャッターを切っている石川さんの姿も目に浮かぶ。また石川さんに元気をもらった気がする。
今日はカメラマンの加藤孝信さんに会った。今、企画している映画をどういうカメラで撮ればいいか、相談にのってもらった、というわけだ。色々、情報を集めてみても、実際にカメラを使っている方から具体的なことを聞くほうがはるかに役に立つ。確かにいろんな話が聞けてとてもよかった。とは言いながら、結局のところ、編集まで含めて考えなければいけないことが多く、これにしよう、という確信は持てない。そもそも、またまた予算ゼロから立ち上げるのが無謀であって、さらに新しいカメラを買ったところで、「初期投資」としてそのカメラで元が取れるほど稼ぐことを望めるわけでもない。ただ、ドキュメンタリー映画の場合、どういうふうに撮影が進むか不確定な部分が多く、最低限、自前でカメラを持っておくと安心感は格段に違う。今考えている企画は、テレビの番組でも成立するとは思うのだが、どうしても「映画」にしたいとの思いもあって、また自主制作でやるしかないか、とも思っている。本当にやれるかどうかは別にして。