『スタートレック』/『ギャラクティカ』
映画館で『スタートレック』を見る。全然、シリーズのファンでもないのだが見てみた。結果、いまいち乗れず。残念。昨夜、DVDで見た『ギャラクティカ』シーズン3の303、304の「大脱出」がめちゃくちゃ燃えるエピソードだったので、その影響もあったかもしれない。それにしても、このエピソードのジャンプ(「スタートレック」でいうところのワープ)は燃える。文字通り、ギャラクティカが燃えている!
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
映画館で『スタートレック』を見る。全然、シリーズのファンでもないのだが見てみた。結果、いまいち乗れず。残念。昨夜、DVDで見た『ギャラクティカ』シーズン3の303、304の「大脱出」がめちゃくちゃ燃えるエピソードだったので、その影響もあったかもしれない。それにしても、このエピソードのジャンプ(「スタートレック」でいうところのワープ)は燃える。文字通り、ギャラクティカが燃えている!
今日は月に一度のバイオハザード予防市民センターの幹事会。前半の話題はやはり新型インフルエンザの話。後半は6月の総会とシンポジウムの話。例年、6月はコンサートと総会があって忙しい。
どうなるかは全く分からないのですが、次回作のリサーチを継続中。題材そのものよりも悩んでいるのは、次に撮るならやはりハイビジョンで16:9のワイドにするべきなのだろうか、ということだったりします。今やハンディタイプのカメラでもハイビジョンになり、さらにテープを使わないタイプのカメラがほとんどになってしまいました。進歩は早いものです。そこそこのレベルのカメラを買うとなるとそれなりの出費だし、編集システムも変えないといけません。お金があれば「えいっ」とすぐ決断はつくのでしょうが・・・。もうしばらく悩むことにします。
伊勢真一監督の最新作『風のかたち』の試写に出かけた。このドキュメンタリー映画は小児がんの子供たちのキャンプを中心に10年にわたって記録した作品だ。話は脱線するが、この日本ではドキュメンタリー映画を作り続けるのは難しい。難しい、というのが正確でなければかなりの労力を必要とする。伊勢監督は精力的に作品を作り続けていて、去年から今年にかけてもすでに3本目だ。そして、どの作品も面白いのだから大変なことだ。そして本作。本作は真っ黒な画面に赤ちゃんの泣き声から映画が始まる。そして木々が揺れ、風の音が響き渡る画面となる。このファーストショットがとても印象深いし、後々、重要な画面となる。またまた話は脱線するが、近年、日本の劇映画は「難病ブーム」だそうで、あからさまなお涙ちょうだいを狙って、平気で人が死んでいくらしい。(らしい、というのはそういう映画をほとんど見ていない、からだけど。)『風のかたち』は、確かに小児がんの子供たちを描いているのだけど、安いお涙ちょうだいでは全くない。冒頭、伊勢さんがナレーションで語っているように、最近は7~8割は治る病気だそうだ。この映画では、同じ病を持った子供たちが、お互いの境遇を語り合い、遊ぶ姿が何度も描かれる。だからと言って、「病を克服する」というような感動の押しつけでもない。うまく表せないが、監督が等身大で子供たちに向き合った、といった感じだろうか。そして、いつにも増して、風景のショットが何度も挟み込まれる。確かにこれは風景ではあるのだけど、見ているうちに子供たちの心象風景に思えてくる。風などの自然音も、子供たちの体内で鳴っている音のように思えてくる。病を抱えた子供たちは、大変過酷な状態ではあるのだけど、映画の趣はどこかさわやかだ。そして、なんといっても、10年間の厚みがある。伊勢さんの映画は、「伊勢組」とでも呼べるような、撮影・照明・録音スタッフの方々が優秀な方々ばかりで、確かな技術に支えられて映画が出来上がっている。こうした方々と仕事ができることも、監督の力なのだと思う。僕はどこまでいっても徒手空拳だけど。ぜひ、多くの方に見てほしい。
バイオハザード予防市民センターの会報を編集。絶妙なタイミングで原稿が2本届く。届くのが遅かったら、今日は諦めようと思っていたので助かる。同時に、郵送に必要な封筒もいいタイミングでアスクルから届く。都内某所にて、印刷。事務所にて封筒詰め、発送。ぎりぎり宅急便の時間に間に合う。いつものようにバタバタ。まあ、2か月に一度のことだから。
バイオハザード予防市民センターの会報を今週中に発送しなければいけないのだが、原稿を今日やっとチェックできた。一部、未着の原稿があり、どうなることか・・・。
夜、四ノ宮浩監督の『BASURA バスーラ』の試写に行く。前作から8年、世界中を歩いて七転八倒しておられることを時々ホームページを読んで知っていた。そして、再びフィリピンで撮られたのが本作。感想を書こうと思ったが、うまく言葉がまとまらないので、今は書かないでおく。
ここ数日のことを日記風に。
5月22日(金) 夕方、岡山に着く。重い荷物を背負いながらもてくてく歩いて、アートリンクセンターへ。田野さんや真部さんとなんとなく近況報告。最近の活動のビデオを見せてもらったりした。午後7時から伊丹秀徳さんのカフェトークを聞く。自閉症のことをゆっくり聞けてとてもためになった。明日のこともあるので、打ち上げには参加せず、中村智道さんに車に乗せてもらって、中村宅(元・私の実家)に向かう。勝手知ったる自分の家(そういう日本語はありませんが・・)にずうずうしくも泊まる。
5月23日(土) 朝9時に岡山映画祭の小川さん、岡本さんに迎えに来てもらって、一路、美作市へ。無理を言って、父の墓参りをさせてもらう。昨年12月に3回忌をして、当分、来れないだろうと思っていたから、なかなかこういう機会はないので無理をお願いした。少し早めに津山市街に着いて、時間があったので、城東町並保存地区へ行く。以前、岡山の展覧会で一緒だったことがある、大谷俊一さんの展示があるのをたまたま知ったので、見たかったというのもあった。しばし古い町並みを散策、その後、商店街も散策してから、上映会場の喫茶店・茶入へ。昼のランチをいただく。2時半を待って会場設営。ドタバタだったがなんとか上映に間に合う。灰塚から伊藤裕啓さんらが来てくださり、うれしいやら驚くやら。親戚もいっぱい来ていた。父の同級生も。会場は満席。午後3時半上映開始。上映後のトークでは、つい脱線して父のことなどをしゃべってしまった。津山市ではついに映画館がなくなって、まちなかで映画館を!ということで開催される上映会の第1回が今回。そんなこともあって、僕が関わったイセザキ映像祭の話もした。伊藤さんのお話も聞けてよかった。トークのあと、親戚や父の同級生にごあいさつ。続いて、午後6時半から2回目の上映。2回目は少し少なめ。いろんな感想、質問が聞けた。その後、スタッフの方々とお食事。こういう場所で今後も気軽に映画が見れたらいいなと思う。
5月24日(日) 朝9時過ぎにマリンライナーに乗って、瀬戸大橋を渡る。香川県まで渡るのは瀬戸大橋ができて以来。坂出に、大学の後輩(一緒に学生会館の運営をやっていた)二ノ宮くんが来てくれる。一度行ってみたかった、丸亀市猪熊弦一郎美術館に行く。かなり贅沢な空間で少々驚く。お昼は当然、さぬきうどん。二ノ宮くんお勧めのお店で満喫。いざ、上映会場のなタ書へ。まるで秘密基地のような、隠れ家のような空間にいろんな本があっていい感じ。午後2時から上映。トークの予定はなかったのだけど、観客の方から質問があったので、ついトークのような感じに。午後5時から2回目の上映。満席。上映後、トーク。こんな感じ。香川県では来年、瀬戸内海の島々で開催される、瀬戸内国際芸術祭が開催されるので、関わっている方が多く来られていた。質問もいくつかあったので、僕なりに答えた。この日に岡山に帰らなければいけないので、打ち上げは少し顔を出しただけで、マリンライナーに乗って岡山に帰る。
5月25日(月) 朝、妹に迎えに来てもらって、父の墓参りへ。(父は2つのお墓に入っているのです。どちらも、寺のお墓なのですが。)岡山駅まで送ってもらい、昼ごろ、新幹線に乗り帰宅。
たまたま偶然なのですが、1日目の上映が喫茶店、2日目が古本屋という、映画館やホールとは違った場所での上映は面白かったです。こうしていろんな方と出会えたのも楽しかった。
少々、大げさなタイトル。明日出て、月曜日に帰ってくる。土曜日・岡山県津山市上映、日曜日・香川県高松市上映。前後、ちょっと寄りたいところもあって、明日岡山に入ることにした。たった数日のことなので、たいした旅支度もないのだが、つい荷物が多くなる。最近はすっかり旅慣れたはずなのだが、荷物の整理はあまりうまくならない。久しぶりの上映は、ワクワク感とドキドキ感半々といったところか。もう、何度も上映しているのに、場所と観客が違えば雰囲気も違うから、自分にとってはライブと同じだと思っている。まずは、人が来て見てくれますように。(今回はパソコンを持って行かないので月曜日までブログはお休み。)
パソコンがクラッシュした余波で、もろもろの復旧作業で一日中自宅で事務作業。特にやっかいだったのは、住所録だった。元データはあったのだが、ラベル印刷などにも使うため、印刷用にデータを再作成しなければならず、それほど多くはないのに何時間もかかってしまった。効率的に作業をするためのはずが、結局こういうところで時間をくうというこの矛盾・・・。
ユーロスペースで『四川のうた』(監督:ジャ・ジャンクー)を見た。久しぶりに、奇妙な映画を見た、という印象が強く残る。その奇妙な、という感触を説明するのはとてもやっかいだ。大雑把に言えば、この映画の肌触りが奇妙なのだ。いくつものインタビューが出てくるので、引っ掛かりを持たなければドキュメンタリーの形式に思える。しかし、流麗なドリーショットがあったりして、単純なドキュメンタリーでないことはすぐに分かる。同時に、見る前に知っていたことがいいのか悪いのか分からないが、インタビューのいくつかは役者が「演じて」いるものなのだ。だからといって、ドキュメンタリーという形式をひっくり返すようなものでもない。表面的にはインタビューに答えている、というようにしか見えない。以前、僕はある場所でインタビューだって演出だ、と書いたことがあるのだが、本人も役者も混交したインタビューは不可思議な肌触りを持っている。と同時に、過剰とも思える音楽と深長な詩が挟まる。これらの目論見がうまくいっている、とは僕には思えなかった。だから、面白いとは思えなかった。けれども、これが映画の不思議さでもあるのだが、とても参考になることが多く、得るものは多かった。少しばかり、僕が今リサーチしていることと重なる部分があったからでもあるし、カメラの選択も含めて、どういう方法があるのか悩んでもいたからだ。そして映画を見ながら強く思っていたのは、近年の中国映画におけるいくつものドキュメンタリー映画と確実に共振している映画だということ。かつて故・小川紳介監督は「劇映画とドキュメンタリー映画は車の両輪だ。ドキュメンタリー映画に力がなければ、劇映画も面白くならない」と語っていた。小川監督たちが精力的にドキュメンタリー映画を作っていた時代は、確かに劇映画の監督とも共振していた。多分、今、中国では同じことが起きている。それに比べて、日本は・・・心許ない。
映画を見た後、上京されていた岡山映画祭の小川さんと会う。今週末の津山上映について、簡単な打ち合わせ。僕のわがままを許していただけそうだ。
夜、VIDEO ACT!の会議。