『バオバブの記憶』/『荒木栄の歌が聞こえる』
今日は『バオバブの記憶』というドキュメンタリー映画を見た。本橋成一監督。こういう映画の感想は書きにくい。いい映画だと思います。けど、僕には合わなかった、という書き方が一番近いでしょうか。近年、フィルムで撮られたドキュメンタリー映画はほとんどなく、そういう意味ではフィルムで丁寧に撮られたこの作品は間違いなくいい映画。だけれども、劇映画でもドキュメンタリー映画でも、見ながら、あるいは見終わった時に目を通って心の奥底に何かの像を結ぶものが見た人にとって面白い映画になるのだろう。僕は今回、そうした像が結ばれることはなかった。
書いていなかったのだが、数日前には『荒木栄の歌が聞こえる』というドキュメンタリー映画を見た。港健二郎監督。僕が初めて「荒木栄」のことを知ったのは、この映画にも映っている、ソウルフラワー・モノノケサミットが歌った「がんばろう」だった。その後、同じ港監督の『労働者作曲家・荒木栄』というビデオを見たのだった。そして今回の映画を見ながら思っていたのは、なぜ、うたごえ運動は継承されなかったのかということと(今でもうたごえがあることは知っているのですが、若者には継承されていない、というイメージがある)、今、運動の中で歌われる歌があるだろうか、ということ。前者は運動の思想史的な変遷からも考える必要があるだろう。後者は、僕は、運動の中で歌われる歌がない・多くない、というのは決して悪いことではない、と思った。僕はどうも「皆で歌いましょう」というのが苦手だ。だから、60年前後のうたごえ運動の映像を見ていても、それほど感慨はない。しかしながら、僕は、荒木栄が作った歌はいいなあ、とあらためて思っていたのだ。映画の中で大工さんが「運動の中から歌が生まれたのだ」ということを言っていて、いい言葉だな、と思った。荒木栄って誰?と思う人にこそ見て欲しい映画だと思った。