「ジークフリート」
「ニーベルングの指輪」、今日は3日目。見たのは「ジークフリート」。4時間を超える。
今日は大晦日。2008年は僕にとってはとても充実した年だったと思う。お世話になった方々、映画を見てくださった方々、ありがとうございました。
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
「ニーベルングの指輪」、今日は3日目。見たのは「ジークフリート」。4時間を超える。
今日は大晦日。2008年は僕にとってはとても充実した年だったと思う。お世話になった方々、映画を見てくださった方々、ありがとうございました。
本当に映画が好きな人は、こういう年末年始の休みに映画館を梯子するのだろう。僕はどうもこういう時には、あまり出歩きたくなくなる。家でミカンでも食べながら、コタツに入ってテレビでも、というのが一番楽でいい。けど、大体この時期はあまり面白いテレビもない。そういうこともあって、今年の年末年始は突然、オペラだ!となった次第。特に長大このうえなく、全部見るだけでも大変そうな、ワーグナーの「ニーベルングの指輪」に挑戦中。何せ、全部見ようと思うと16時間以上、こういう時にしか見えないと思ったのだ。恥ずかしながら、今まで見たことがなかったので。小学館がDVD+本の「魅惑のオペラ」というシリーズを出していて、その特別版として「ニーベルングの指輪」全4巻が出ている。まあ、詳しい人なら演奏家・演出家でこだわるのでしょうが、解説本が付いていてありがたいのでこの4巻を買った。(正確にはプレゼントで貰った。)
そんなわけで、昨晩と今日の昼間に「ラインの黄金」と「ワルキューレ」を見た。感想は全部見てから書くとして、とにかくたっぷり疲れました。それはそれで悪くない、と思う。
ついに今日で40歳。もう十分、中年のおっさんだ。特段の感慨もないのだけど、30歳になった時とは明らかに違う。30歳になった時は、10年間はがんばってみよう、と思ったものだが、そういう気概もない。諸事情で、お祝い気分もないし。40歳といえば、「不惑」=惑わず、なんて言葉もあって、これから確固たるものをもって歩む、という意味なのだろうけど、僕の実感としては、迷いがあるということではなくて、もう迷ってられない、という感覚に近いと思う。何か他の事をする「逃げ道」みたいなものはあったと思うのだけど、逃げ道ももうない、という感じでしょうか。そうは言っても、目標を掲げる、なんて立派なものもなく・・・。相変わらず、なるようにしかならないだろう、と思ってます。
今日が展覧会最終日ということで、練馬区立美術館に行って、「石田徹也‐僕たちの自画像」展を見た。2005年に31歳という若さで亡くなり、没後も遺作集が出版され、評判になっていることは知っていた。僕も本屋で遺作集を手にとって、なんとも言えない引っ掛かりを感じていたので、実物をどうしても見たかったのだ。約70点が展示されていたのだが、これだけの規模の個展は初めてだとか。展示はほぼ制作年代順になっていて、1995年~99年の90年代の作品が目に飛び込んでくる。一言で言うなら、シュールレアリズムの自画像、ということになるのかもしれないが、機械や物と合体した絵は、どこかレトロ、懐かしさも感じるものなのだ。ちょっと面白くて、ちょっと不気味、そういう感覚が強烈だ。がんじがらめの社会に傷つく姿、と言ってしまうと分かり易すぎる。かなり精緻に描かれていることにも気付く。こうしたことはやはり実物を見ないと分からない。2000年代に入ってからの絵は、趣が変わる。青が印象的だったり、痛々しさがより強くなっているように思える。久々に絵を見て心が震えてしまった。
その後、事務所に行く。明日が最後のゴミ収集日だから、ただ単に集積所に出すだけだけど。
一回家に帰って、夜、『ワールド・オブ・ライズ』を見る。監督のリドリー・スコットファンとしては見ないわけにはいかない。あまり芳しい評判は聞こえてこなかったので、不安はあったのだが。大雑把に言うと、ほとんどリドリー・スコットらしさを感じられず、映画としてもどうもよろしくない。予告編はいかにもアクション映画風に作ってあるが、本当はポリティカル・スリラーというほうが正しいだろう。見ていてどうも乗れないのは、やたら携帯電話のシーンが多く、サスペンスも盛り上がらず。ディカプリオとクロウの駆け引きも、それほど面白くない。ただ、ラッセル・クロウの嫌な感じは興味深かったが。ちょっと物足りないなあ、というのが正直な感想。残念。
今日は自宅の大掃除。と言いつつ、事務所の大掃除と一緒で、せいぜいが「大片付け」といった感じだが。とにかく、常日頃、すぐものを捨てないものだから、いつの間にか山のようにうずたかく重なった紙類の山を崩しては、捨てるもの、残すものを分類していく。それにしても、映画のチラシが多いこと。まあ、それだけ映画が多いということだけど。中学生の頃はチラシがうれしくて、見てもいない映画でも置いていたりしたもんだが、そんなことをすると大変なことになるので、ガンガン捨てていく。けど、ドキュメンタリー映画は例外。見ていないものも含めて、置いておく。「いつか資料に・・・」なんて思うのだけど、今までおいておいたものを役立てたためしはない。でも、置いておく。次に多いのがバイオ市民センター関係の資料と、郵便物。郵便物もなかなか捨てられないのだ。
これらの片づけが終わると、次は本の整理。これまた捨てられない性格だからついつい溜まっていく。それでも、整理だけはしておこうと、段ボール箱に突っ込む。
結局、片付けしか出来ず。明日は、もうちょっと拭き掃除などをしないと・・・。
今日は事務所の大掃除。しばらく散らかりっぱなしにしていたので、とにかく年内に片付けておかないと・・・と思ったので。随分時間は経ってしまったのだが、ユーロスペースで公開した時の前売り券がうずたかく積まれていたり(ああ、これが全部売れていれば今頃金持ちだ・・というため息も)、チラシやら郵便物やら、とにかく印刷物関係のゴミが大量。ぼんぼんゴミ袋に詰めていくと、事務所の畳がやっと顔を出した。本当は押入れの中を整理しなければいけないのだが(押入れには前作『ニュータウン物語』のチラシが大量に眠っている・・ああ)面倒なので、またの機会に。(と言っていると、1年後になりそうな予感。)年末年始でゴミを出すタイミングがうまく合わなかったので、日曜日にはゴミだけ出しにこないといけなくなりそうだ。
明日は自宅の大掃除・・・予定。すっかり年末モード。
クリスマスの夜にタイトルのような文字を書くと、中学生みたいだが、「告白」は今年話題の小説。年末恒例のミステリーランキングでも上位に入っている。著者は湊かなえ。デビュー作だそうだ。あまりの好評に気になって読んでみた。
恐ろしい小説だ。何が恐ろしいかというと、文章がいたって平易なのに、読後、心の中に黒々とした重いものを感じるから。全6章からなる連作短編集の趣なのだが、基本的に全部の章がモノローグ。1章ごとに「告白」する人物が変わり、女性教師の子供の変死事件が別の角度から語られる。モノローグだから、余分な情景描写やまどろっこしい心情描写などもない。どの人物も憎悪を抱えている。簡潔な表現で深いことをことを表現するのは難しいことだ。この小説にはそれがあると思う。深夜読了。
昨日の打ち合わせを踏まえて、簡単な企画書を作る。そのため、2人の方に電話。両方の方とも協力してくれそう。ただ、もう年末だから具体的には年明けからだな。おまけにこのまますんなりいくかどうか分からないし・・・。それでも、年内に形にしておきたかったので、企画書を書いて送った。
年内に片付けておきたいことがあったので、いくつか電話。片付かないこともありそう・・・。
横浜の某所である方と打ち合わせ。(まだどうなるか分からないから、詳細はまだ書かないでおきます。)僕は僕なりの考えでアイディアを出してみたのだけど、どうだろう・・・。うまくいけばいいのだけど。
夕方、BankARTで池田さんと打ち合わせ。
12月20日
昼過ぎに新幹線に乗って、岡山へ。ちょっと早く着いたのだが、市内で晩御飯を食べてから実家(と言っても誰も住んでいない・・・。)に帰らないと、何も食べれなくなってしまうから、食べることに。今回は、岡山に来る前から、無性に、「野村のカツ丼」が食べたくなっていたので、店を探す。ここはデミグラスソースのカツ丼が有名で、ファンも多く全国的にも有名。僕も久しぶりにこのデミグラカツ丼を食べる。ここも、子供の頃父に連れて行ってもらった処だ。看板には「お父さんも食べた お母さんも食べた 野村のカツ丼」のキャッチコピー。確かにそうだ。
少し街を歩いてみると、駅前の大きな映画館が取り壊されていた。これで、思い出の映画館はことごとく消えてしまった、という感じだ。中心市街地の映画館は、完全に郊外のシネコンに押されているのだろうか。おっさんの感傷なのだろうけど、やっぱり淋しい。
夜、誰も居ない家に着く。早めに就寝するも、夜中に目が覚める。無理してもう一度寝る。
12月21日
朝8時過ぎに、妹の旦那さんに迎えに来てもらって、県北の父の実家(当林寺、というお寺。)に向かう。1時間ちょっとで着く。父の兄・姉妹、僕の妹の旦那さんのご両親など、皆さん早く揃う。思えば僕は親戚付き合いなんて、ずっとしていなくて、全く疎遠になっていた。けど、父の入院以後、親戚の方々にはお世話になりっぱなし。僕自身、お寺の慣習などにも疎く、随分粗相があったんじゃないかと思うのだけど、とにかく出来ることはしようと思ってきた。3回忌、というのはやっぱり何かの節目のような気がする。父の希望もあって、お寺の裏の本田家の墓に父は入っている。墓参りをした後、皆さんと会食。
その後、妹の家に行った後、もう一つの父が入っている墓に参る。このお墓もお寺のお墓。そういう意味では、僕はお墓に関しては特に考えることもなかった。お参りをしながら、多分、これからはあんまり来れなくなるんだろうなあ、と思う。東京と岡山はやっぱり遠い。
夜、妹家族と食事をして帰宅。
12月22日
朝、変な夢で起きる。思えば、この部屋は子供の時から僕の部屋だった。(一時、父が使っていたけど。)昨年、家の中のものを整理したから、何も残っていないのだけど、何がしかのことを思い出さなくもない。普通、これだけ東京に出てきてから長くなると、実家との縁なんて遠くなると思うのだけど、僕の場合、『ニュータウン物語』を撮っていた時に、ずっと実家を拠点にしていたから、再びつながりが出来た。父との関係も、この時期がなければもっと疎遠だったに違いない。
その家も、借りてくれる人が見つかった。もう30年以上経つ古い家だけど、それでもいいと言ってくれたので貸すことにした。以前から知っているご夫婦。家の中をもう一度一緒に見て、契約書を交わした。ちょっと形式的かなあ、とは思ったものの、何かあった時に逆にお互い嫌な思いをするのも嫌なので、契約書を作らせて貰った。これで気になっていたことも一区切り。
今回、岡山に行く時になんか言葉に出来ない、複雑な気分があった。その理由が分かった。いろんなことに区切りがつくと、岡山との縁が急に遠く思えるからだ。心情的にはそうじゃない、とは思っていても、岡山に行く理由はめっきり減っていく。それは淋しいなあ、と感じていたのだけど、逆にそこは成り行きに任せよう、とも思う。無理して何かをする必要もないし、あえて遠ざかることもない。きっと、また何かあるさ、と思って東京に帰る。