会議
今日は午後からバイオハザード予防市民センターの会議。(幹事会。)今年から事務局次長という、まあ、役がついたわけだけど、やれることをぼつぼつと・・・。普段使わない学術的な(?)頭を少々使う。課題は色々ありますが、こちらも一足飛びにはいかないので。
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
今日は午後からバイオハザード予防市民センターの会議。(幹事会。)今年から事務局次長という、まあ、役がついたわけだけど、やれることをぼつぼつと・・・。普段使わない学術的な(?)頭を少々使う。課題は色々ありますが、こちらも一足飛びにはいかないので。
いくつかこなさなければいけない事務作業をぼちぼちと。
早めに帰宅して、VIDEO ACT!ドキュメンタリー祭チラシ用に、上映作品の解説を書く。もっとも、掲載スペースがごくごく限られているから、可能な限り短く書く。これが意外と大変。20本ほど書いただろうか・・。まだ原稿を渡せる段階にならず。
以前書いた、韓国・ソウルINDIE SPACEでの上映だけど、9月末ごろと聞いていて、いつ上映するのか連絡がないものだから、そろそろ尋ねてみようかと思っていたら、今日、メールが来て「明日から上映が始まります」とあってびっくり。おまけにサイトは韓国語だからよくわからず、翻訳サイトをたよりに調べると、さっそく明日にも上映があるではないか。もし、時間が合えば(交通費は出ないけど)行ってもいいかな、なんてぼんやり思っていたのだけど、3回上映があるうち、最後でも27日(土)だからこりゃ無理だな。それでも韓国の観客の反応が気になるところではあります。
やっとこさ、今日、バイオハザード予防市民センターのニュースレターを印刷、発送できた。ちょうど、同じ場所でVIDEO ACT!ドキュメンタリー祭の仮チラシも印刷していたので、受け取る。さっそく、ポレポレ東中野に持っていく。
夜、アテネフランセ文化センターに行って、佐藤真監督 回顧上映を見る。今日の上映作品は、ほとんど上映されていない作品で、見ておきたい、と思ったのだ。特に僕が見たかったのは「市場最大の作戦」。なぜかと言うと(前にも書きましたが)この作品は2001年に青森市で開催された「キッズ・アート・ワールド2001」の時に製作された作品で、PHスタジオも出品作家として「リンゴ箱のコロシアム」を作っているのだ。だから前々から気になってはいたのだ。で、映画を見ると、りんご箱のコロシアムが出来る様子もコマ撮りで確かに出てくる。(ラストカットもコロシアムだったなあ。)ヤノベケンジさんも。見ておいて良かった。
見た時にふと思っていたのは、(佐藤さん追悼とは全く関係なく)ここのところ、美術展から声がかからないなあ、ということ。まあ、確かに今年などは声がかかっても動けなかったと思うけど、ついに最近は声すらかからなくなった。今まで来るもの拒まずでやってきたので、声がかかればそれなりに考えるのだけど。(あ、撮影だけで参加したものはありました。)美術展ではないけど、美術界には関わった年ではありますが。
だから、というわけではありませんが、偶然とはおそろしいもの(?)で、今日、昼間、PHスタジオの池田さんから電話があった。何かというと、急な話ではありますが、21日(日)にPHスタジオの事務所で『船、山にのぼる』を上映することになりました。
今日も相変わらず、バイオハザード予防市民センターの会報の編集。なかなかうまくいかず、時間がかかってしまった・・・。
それにしても、近年、映画ではバイオテロをネタにしたものが増えていると思う。80年代~90年代は「核戦争」が人類滅亡の原因としたものが多かったわけだけど、21世紀に入ってからは細菌やウィルスが原因になったものが多いと思う。一時、その手の映画を気にして見ていたのだけど、ここのところは多すぎてとても追いつかない。映画としては面白くない、『20世紀少年』第一部のラストもバイオテロの話だし。(テロかどうかよく知らないのですが)今年は『感染列島』なんていう映画もある。(さっきテレビを見てたら、秋の新番組にはバイオテロをネタにしたドラマもあるみたいだし・・。)バイオテロと言えば、アメリカの9・11以後、炭疽菌事件がおきて大騒ぎとなったけど、陸軍の研究所に勤めていた研究者が犯人と断定されながら、その研究者が自殺してしまい、結局、あやふやなまま幕引きとなりそうだ。本当のところは分からないが、病原体に一番近づけるのは研究者であることは忘れてはいけない、と思う。同時に、バイオテロを防ぐという名目で秘密主義が進んでいるのも問題だと思う。僕らの知らないところで、(病原体とは限らないけど)どういう研究をしているのか分からないバイオ施設はいっぱいあるのだから。本当はその辺をきちんと描けば、もっとリアリティのある映画にもなるのに、と思ったりする。
3連休サボったせいではないのだけど、今度はバイオハザード予防市民センターのニュースレターの編集・発行を今週中にやらなくちゃいけない。他の方から原稿が届いたので、自分の原稿を2本書く。それから編集。1本、どうしても開けない原稿があって、結局、再度送ってもらうことに・・・。
事務所にて、いくつかの事務連絡・作業。
夜、土本典昭追悼上映で『水俣一揆 一生を問う人々』を見る。なぜだか、この作品も見逃していた。映画を見ながら、この作品はもしかすると映画史上最も息苦しい作品かもしれないと思い、慄然とする。なぜなら、108分の上映時間のうち、多分、8割以上(9割ぐらい?)は、水俣病の患者さんたちのチッソ本社での社長に対する直接交渉のシーンだからだ。とにかく、顔顔顔、声声声。多少、引いて部屋全体が見えるシーンがあったとしても、多くの顔が映っているのだ。そして、患者さんたちが「一生面倒をみろ」と全存在を賭けて、自分の人生の苦闘を交えながら語る姿は、誤解を恐れずに言えば、どんな名脚本家でも書けないと思われる言葉に満ち溢れている。土本さんがこの交渉だけで1本の映画にしようと思った、というのはすごいし、冒険だ。その理由がよく分かった。
今日は午前中から船橋市民ギャラリーに出かけて、コミュニティアート映像祭に行って、映像作品をいっぱい見てきた。主催はコミュニティアートふなばし、という団体。ごく大雑把に言って、コミュニティアートに関わる映像作品を集めた上映会。見た作品は、「取手の音楽」「BEPPU PROJECT2006」「光の庭の子どもたち」「ほんがら」「街にはアートがいっぱい」「セクション1-2-3」「BKK犬」「兄の部屋」の9作品。中篇もあるとは言え、久しぶりに一日中見ていてちょっとくたびれた。中でも『ほんがら』は、以前から見たかった映画だったので、こうしてやっと見れてよかった。(関東では初上映、とか。)中身も満足。ラストのお祭りのシーンは熱くなる。絶対この作品は映画館で公開すべき、と思う。監督の長岡さんとは4年前ドイツ・フランクフルトでの映画祭でお会いして以来。今日、お会いできてよかった。それにしても、結構、画期的な映像祭だと思うのだけど、(前2日間は分からないけど)観客が少なくて、ちとさびしい限り。これから他の会場でも上映されるようなので、そちらは盛り上がればいいのだけど。
3連休、思えば映画ばっかり見ていた・・・。
先日来から書いている、VIDEO ACT!10周年上映会。プログラムがほぼ固まったはいいけれど、実は見ていない作品が何本かあったので、DVDをおかりして5枚、立て続けに見た。うん、これなら面白い上映会になる。ドキュメンタリーと言っても、題材から描き方から幅は広いわけで、この上映会ではその幅の広さも伝わるのではないか、と思う。
先週末から始まっている、「追悼上映 土本典昭」。本当は今まで見たことがある作品ももう一度見直してこそ、「追悼」なのだとは思うのだが、現在の精神状態でどうしても向き合うことが出来そうに無く、なかなか劇場に足が向かなかった。それでも、恥ずかしながら見ていない作品も何本かあり、それだけは見ておこうと思った。
今日、見たのは中篇4本。『偲ぶ・中野重治』は、見ながらまたまた映画とは離れたことをふと考えていた。まずは、中野重治の告別式でありながら、頭をよぎっていたのは土本典昭さんのお別れの会のこと。次に、僕も故・芝田進午さんの葬儀・お別れの会の映像を撮ったことを思い出していた。葬儀の映像は、お別れの会の時に上映した追悼ビデオで使わせていただいた。もう一つは、全然レベルが違うが、父の葬儀のこと。次は『原発切抜帖』。(これは以前見ていた。)もう、アヴァンギャルド・ドキュメンタリーとも言うべき、新聞記事だけでこれだけ面白く見せてしまうことにあらためて感心。小沢昭一の語りの軽妙さ、水牛楽団の音楽の楽しさ。『水俣レポート1 実録・公聴委』。偽造書類まで受け取る、公害等調整委員会の醜さ、交渉にのぞむ患者さんたちの落胆・怒り・疲労に満ちた顔。『わが街わが青春-石川さゆり水俣熱唱-』は青春映画の傑作だった!成人になった胎児性水俣病患者の人達が奮闘して石川さゆりのコンサートを開く姿を追っているのだけど、とにかく何度も涙が出る。また、あまり時制をいじくらない土本さんが大胆に時制を変えた編集をしていたことも新鮮な驚きだった。土本さんの映画に対する見方が少し変わった。
今日は夜、VIDEO ACT!の会議がある。そのため、10周年企画を検討するための簡単なレジュメを作る。たかだか1週間の上映とは言え、決めなければいけないことが細々とあるもんで、とりあえずは何を決めなければいけないかの洗い出し。(そもそも企画名も決まっていない・・・。)
事務所に行くと、横川シネマから週報などが届いた。モーニングショーということもあって、シニアの方がいっぱい見てくださったことに驚く。ありがたい。
夜、VIDEO ACT!会議。細かいことがほぼ決まった感じだ。あとはチラシの作成など、具体的に諸々を進めていくことになる。もう書いてもいいと思うけど、11月29日(土)~12月5日(金)の1週間、UPLINK FACTORYにて約20本ほどのドキュメンタリーを一挙上映。(主に夕方から夜にかけて。)劇場初公開作も多数。これから公開される作品も。そして『船、山にのぼる』も上映します。
ここのところ読んでいた本は飯嶋和一著「出星前夜」。500ページを越える大著だからリュックサックに入れてあるいていると重い、重い。もう、面白くて電車の中でも読んだりしていたのに、長いものだからなかなか終わりが見えなかった。昨晩、寝る前に本を開くと、残り100ページほどになっていて、なおかつクライマックスなもんだから、もう一気に最後まで読み終わった。さて、本作。事前の情報で「島原の乱」を描いた、と聞いていたので、てっきり天草四郎の物語かと思っていたら、天草四郎はほとんど出てこない。けれども、島原の政治状況、圧制に苦しむ農民の生活を克明に描写して、島原の乱とはなんだったのかを骨太に描き出す。登場人物もいずれも魅力的。読み終わってあらためて思ったのは、繊細で細やかな描写と骨太な話が絡み合って読み終わってずっしりと手ごたえを感じること。残念ながら今の日本の映画には望むべくも無い。それは劇映画、ドキュメンタリー映画関わらず。(でも、それには理由があるわけだから、嘆いてもしょうがないことでもある。)小説にはまだある、ということだろうか。
今日は昼過ぎにパルテノン多摩に行って、『多摩ニュータウン わたしの街』という、ドキュメンタリー映画を見た。この映画のことは製作中から聞いていて、今年完成し、見たいと思っていたのだけどどうしても都合があわず、今日になってしまった。それでも、やっと見れてよかった。映画はごくごく大雑把に言うと、多摩ニュータウンの昔とこれから、といった感じでしょうか。『ニュータウン物語』などというタイトルをつけた映画を作った者としては当然、気になるわけです。ただし、入居の時期はほぼ同じながら、街の規模はそれこそ全く違うわけで、単純に比較も出来ない。
さて、肝心の映画ですが、僕には少々残念な映画でした。理由ははっきりしていて、いったいこれは誰が作った映画なのかよく分からなかったからです。文章で一人称・二人称・三人称とあるように、「私」「あなた」「彼(彼女)」が主語で表現が変わってくるものです。この映画はカメラマンの南さんが冒頭から出てくるわけですが、ナレーションはあくまでも客観的なナレーション。なら、南さんが主人公となって引っ張っていくのかと思ったらさにあらず、南さんが撮影したインタビューも出てくる。僕は、たとえご本人が喋らなくても、南さんの目線でナレーションが語られるほうがすっきりするのになあ、と思って見ていました。さらに、この映画の製作委員会の会議も出てきたりして、メタ映画のようでありながらその効果もなく、僕には映画が漂流しているように見えてしまった。そんなこんなで、一体、この映画は誰が作っているのかよく分からず、内容に入り込めませんでした。でも、ニュータウンがふるさとだ、という気持ちは僕の世代でも共通するので、全国のニュータウンの映画を見て見たいなあ、と思いました。