なんとなく空回り・・・
いくつかやらなければいけないことがあるのだけど、なかなか思ったようには行かない。そんな時は気だけあせって空回り・・・。
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
本屋に行っていると時々気になる本に出会うことがある。この本もその一つだった。『のぼうの城』を読み終わった。確かに面白い。でくのぼうが主人公というのも異色だが、これが魅力的。キャラクターが立っている歴史物は面白い。前半ちょっとこなれていない感じもあったけど。
最近、漫画では『センゴク』や『へうげもの』など、独自の視点で戦国時代を描いたものが出てきているが、何か共通した匂いを感じる。歴史はもっと面白いんだ、というような・・・。
『のぼうの城』は元々脚本だったこともあって、映画化企画も進行中とか。確かに映画を見てみたいなあ、とは思ったのだが、スケール感など大丈夫だろうか・・。何より主人公を誰がやるのか、かなり大きいと思う。(僕は始終、柔道の篠原の顔・体が浮かんでました。)
今日は新井秀雄さんを支える会の総会だった。とにかく、昨年末、裁判の結果が出たのだから、会のことについて区切りをつけないといけない、と思ってきた。集まっていただいた方々と議論しながら、会の解散は了承された。これまでの活動を総括した会報最終号を出すのが、最後の仕事になると思う。新井さんが裁判を起こされてから7年あまり、撮影を始めてからで言うと10年以上、とにもかくにも一区切りがついた格好だ。最後まで併走できたことは、よかったと思うし、個人的にも投げ出さず活動を続けてこられたのはよかったと思う。それほど華々しい活動は出来なかったけど、一つの役目を終えたと思ったら、ほっとしたと言うか、力が抜けたような気がした。もっとも、新井さんとの付き合いはバイオハザード予防市民センターの活動で続くわけだが。
いくつか諸連絡。なかなかにやっかい、な気もする。
今日もチラシ撒き。新宿の広島県ゆめテラスに寄ってから、恵比寿界隈。気が付いたら代官山だった。もうおっさんだから2時間ばかし歩いているだけでくたびれる。まあ、それでもそれなりにチラシが撒けたのでよしとしよう。効果のほどはわからないけど・・・。(見かけたら手にとって欲しい・・・。)
夜、写真美術館ホールで『1000の言葉よりも 報道写真家ジブ・コーレン』をやっと見る。その前に、『船、山にのぼる』のチラシがあるか探したら、ない。むむっと思ったら受け付けにどさっと置いてありました。さすが、UPLINK。さて、このドキュメンタリー映画はイスラエルの写真家ジブ・コーレンを追いかけたもの。写真もふんだんに出てきます。ただ、僕には少し編集のリズムが合いませんでした。ひたすらジブ・コーレンはかっこいい。中盤、1994年に初めて自爆テロの現場を撮った話と写真にぐっとくる。
今日はシネマテークたかさきの上映も最終日。1週間はあっという間だ。見てくださった方々、上映してくださった方々、ありがとうございました。ささやかかもしれませんが、そんな出会いが僕にとっては大切です。
雨が降るんだか降らないんだか、こんな日は一番困る。なぜなら、今日はチラシ撒きに行こう、と思っていたのだが、雨が降ればチラシが濡れてしまうのでそれもできない。だから、今日はチラシ撒きをやめておいた。
そんなこともあったから、いくつかやらなければいけないことを。東京のアンコール上映に関して、何人かの記者に電話。う~ん、さすがに再上映では取り上げにくそう。名古屋の某記者に連絡。こちらは少し目がありそう。
ポスターの追加印刷の発注。
などをしていたら、いくつか考えなきゃいけないことが出てきて、ちと悩む。
時間がうまく空いたので(と書くと失礼だが、他の日でもいいな、と思っていたのだ)午後3時過ぎにドキュメンタリー映画『アメリカばんざい』の試写に行く。監督の藤本幸久さんの前作が東京で公開された折、事務所をお貸しした、ということがあった。僕自身、2006年の夏は、『船、山にのぼる』の追加撮影をするかしないか流動的な頃で、精神的にもちょっと参っていた時期だった。(結局、追加撮影はせず、林さんに実景だけを撮ってもらった)だから、あまりお役に立てなかったなあ、と思ったりしていた。ちょうどその頃、藤本さんはアメリカに米兵の撮影に出かけたりされていた。それがこの『アメリカばんざい』になった、ということだ。こうして新作を作り続けるバイタリティーはすごいと思う。藤本さんも来られていたので、挨拶して僕のほうの資料をお渡ししました。
前置きが長くなったが、肝心の映画である。時たますぐには感想をいえない映画に出くわすことがあって、この映画もそうだった。軽々に感想を書きたくない、というか。とにかく、帰還兵とその家族を中心に丁寧に丁寧にインタビューが続き、アメリカの兵士もいかに傷ついてきたかがよく分かる。そのことは同時に、アメリカの抱える構造的な病でもあるだろう。その構造も見えてくる。最近話題の書「貧困大国アメリカ」でも描かれている通りだ。そんなことを考えながら、次第に言い知れぬ何か(だから書けないのだけど)を感じ始め複雑な気になった。
元国立感染症研究所主任研究官・新井秀雄さんは僕の前々作『科学者として』の主人公。映画を作ったことが一つのきっかけとなって、ご自身の著書「科学者として」を幻冬舎から出版、さらにそのことを契機として所内で厳重注意処分を受けてしまった。新井さんは処分撤回を求めて裁判を提訴するのだけど、その裁判を支援するために、新井秀雄さんを支える会を作ることになった。行きがかり上、僕が事務局長になってもう7年が経過した。思えば、裁判を提訴するころは『ニュータウン物語』の撮影に入ろうとしている慌しい時だったことを思い出す。実は、『科学者として』の続編を作ろうとしていたのだけど、(『ニュータウン物語』の撮影と並行して撮影していた。)、新井さんが退官された2003年3月末までは撮影していたのだけど、形にならなかった。(後に3分の短いものは作るのだけど。)とにもかくにも、支える会の事務局長だけはなんとか投げ出さずにきたのだけど、裁判が最高裁にいってからはほとんど何も出来なかった。そんな裁判も、昨年末に終結。支える会としても今後どうするかを決めなければならず、今週末総会を開く。
その総会資料を作らなければいけないので、今日はその日にあてていた。
だけど、いざやろうと思うとぐずぐずと取り掛かることが出来ず困った。そうも言ってられないから、えいやとパソコンに向かう。
総括文を書きながら、出来なかったことがあれこれ浮かびつつ、それでも何とか裁判を支援できたのではないか、とも思う。いずれにしても、今週末で一区切りをつけなければならない。
今日は一つ嬉しい知らせが届いた。昨秋、まだ正式なチラシもないし、東京公開もしていない頃、どうしても一足早く地元・広島の方に見てもらいたいと思い、横川シネマで上映していただいた。その後、東京公開の折、「広島での上映はありませんか?」という問い合わせを多数いただいたこともあって、少々強引に「ぜひ、アンコール上映をお願いします!」と言っていたところ、今日、アンコール上映が決まった。8月16日~22日のモーニングショー。多分、7月末頃、中国新聞で『船、山にのぼる』について僕が執筆した文章が掲載されるから、多少は呼び水になってくれたらなあ、と思う。せっかく上映してもらって、がらがらだと迷惑をかけてしまうから。
そんなことがあって、喜んでいたら、訃報が飛び込んできた。ドキュメンタリー映画界の大先達・土本典昭さんが亡くなられた。残念で残念でならない。5月ごろ、かなり体調がよくなく、ガンの転移があったことや転院をされたりしていたことはプロデューサーの伏屋さんから聞いていた。僕はその時点で、正直言って覚悟していた。でも本当に亡くなられてみると、何か大きな芯張り棒のようなものがなくなってしまったような感覚がある。もちろん、悲しいのだけど、悲しみだけではない、不安のようなものだ。世の中には多くの監督がいるけど、ドキュメンタリー映画を鋭く語れる人がもういなくなってしまった、という感じを持つ。幸い僕らは土本さんの映画をこれからも見ることが出来るし、土本さんは多くの著作も残されている。来月には「ドキュメンタリーの海へ」という聞き書きも出版される予定だ。ドキュメンタリー映画は決して方法を真似することが出来ない、というのが僕の持論なのだけど、いくらでも学べることはある。そしていつでも作品に帰ることが出来る。多分、今後、追悼上映なども企画されるだろう。
土本さんは僕の『科学者として』をとても評価してくださり、丁寧に電話までいただいて感想を聞かせてくださった。最近、多くの若い監督が同じように感想を聞いたりしていたようだ。僕が直接お会いしたのは、昨年『映画は生きものの記録である』が公開された、その初日が最後になってしまった。今年の年賀状に「働き盛りですね」とあって、身が引き締まる思いがした。
ご冥福をお祈りいたします。
今日は諸般の事情でお休み。やらなければいけないことは多いのだけど、まあ、さぼりです。
そんなわけで(どんなわけ?)、こういう日には『インディ・ジョーンズ』を見るかと思い、近くの映画館へ。
子どもの頃、興奮して見た第1作。それから随分と月日は経ったわけで、まあ、それほど期待していたわけではないのだけど、今ひとつ入り込めず。特にラストシーンのSFに接続していく場面では、なんか違う映画になっちゃったなあ、という印象。トンデモ映画(元々そういう要素が多い映画ではあるけど)という言葉がふさわしく思えてしまう。個々のキャラクターは面白かったのですが。
昨日から始まったシネマテークたかさきでの上映。舞台挨拶に行く前に、事務所に行って、札幌での上映用のテープ、パンフレットなどを発送。雨が降ってるからちと大変。
2時間ばかし電車に乗って、いざ、高崎へ。駅では支配人の志尾さんが迎えに来てくださっていた。シネマテークたかさきは約4年前に出来たミニシアターで、行ってみたかったところだから、「舞台挨拶」などとは大げさだけど、見に行きたかったことが大きい。支配人の茂木さんが劇場前におられた。茂木さんはガンの手術をされ闘病中だから、気になっておりました。長年高崎映画祭を続けてこられ、僕の『科学者として』も上映してくださった。今回も4月半ば頃、資料をお送りしたところ、すぐ上映を決めてくださった。こうして、上映してくださる方がいないと、僕のような映画はなかなか観客と出会うことが出来ない。だから、本当にありがたいのだ。茂木さんはさすがに少し痩せられたようで、しんどそうではあったのだけど、わざわざ出てきていただいて、ありがたいやら、申し訳ないやら。
近くで食事をした後、上映。座席と座席の間がゆったりしていて、落ち着いて映画を見れるいい映画館でした。音も低音がかなり出ていて、今まで見たのとまた違った感じ。
上映後、簡単な挨拶の後、お客さんと質疑応答。何人かの方から感想も聞きました。こうしてお話が出来ることが何よりも励みになる。
高崎に来るまですっかり忘れていたのだけど、群馬県と言えば、八ツ場ダムの造成中。僕も今年、現地を歩いた。あのダムは名目上とは言え、僕のような東京に住む人のために作られている。忘れちゃいけないことだ。
なんだかんだ言ったって、『船、山にのぼる』はそんなに知られた映画じゃないかもしれない。映画館に迷惑をかけなければいいが、と思いつつ現実的には出来ることはほとんどない。残り5日間、少しでも多くの方が足を運んでくだされば、と思う。
そうそう、ロビーに手作りの船が山に登った貼り絵(?)があって感激しました。こうして映画は届いていくんですね。
今日はバイオハザード予防市民センターの総会とシンポジウム。僕はシンポジウムの司会だった。
最近、各地でバイオ施設の建設計画が相次いでいて、反対運動がおきている。今日はそうした場所の方々に来ていただいて、ご報告いただいた。共通しているのは、どういう実験が行われているのか、明らかにされていないこと、住民がきちんと関与した形の安全対策が行われていないことなどだ。皆さんの報告も熱っぽかった。司会者としては時間がなくなってひやひやしていてのだけど。
さて、今日から上映。雨が降っているけど、少しは見ていただけただろうか。明日は舞台挨拶。