2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

2007/12/11 火曜日

マスコミ試写第1回

昨晩、そして今朝と、試写会があるから落ち着かない。なんとも言えない妙な緊張感である。

午後、出かけようとしていたら、灰塚の今井純子さんから電話。先日はなした件が早くも実現しそうで・・・。どうなっているのか僕も楽しみ。(こういう楽しみもないとね。)

午後2時前、映画美学校に予定より早くついたので、中に入ると某映画の試写中で関係者が会議をやっていた。知った人が何人かいたのだけど、声を掛ける雰囲気でもなく、退散。

原田さんが来たのでプレス資料を印刷。思いのほか早くできる。

午後3時ごろからぽつぽつと試写に来る方が。何人か旧知の方も。とりあえず試写会の形にはなりました。

こういう時の上映後は正直言ってあまり居たくない。でも、知った方々に挨拶ぐらいはしたいし。大体、見た方の表情で自ずとどう思ったか分かってしまう。それは作り手にとっては何より厳しい現実だ。元々気が弱いほうだから、あまり精神衛生上よろしくない。

何人かの方から感想を聞いて、とりあえずマスコミ試写第1回は終了。

その後、ユーロスペースにプレス資料を届けて、支配人の北條さんと簡単な打ち合わせ。

帰りがけの電車で、なんで僕はこんなことをしてるのか、つらつら考えてみるに、あることに思い当たった。僕が尊敬する映画監督の伊勢真一さんは「映画を育てる」という言い方をよくされる。その言葉から思ったのは、『船、山にのぼる』はまだ卵からかえってないんだなあ、ということ。岡山・広島と上映してきて、ああ、何とか卵がかえったと思っていたら、その外にはさらに分厚い殻がありましたとさ。残念ながらこの分厚い殻を誰か外側から割ってくれる人がいないし、ましてや中の雛鳥が殻を元気よく割ってくれそうにもない。だから、親鳥自ら殻を割るお手伝いをするしかない。手助けをしないと、結局殻を割ることが出来ず、窒息死しかねない。幸い、なんとか雛鳥になることは出来たのだけど、いったいこの雛鳥がどういう形をしているのか、親鳥もよく分かってない。だから卵からかえるところを見たいのだ。

今日は少しぐらい卵にひびが入っただろうか。

そんなことを考えていたら少し気が楽になった。

未分類 — text by 本田孝義 @ 21:33:45

2007/12/10 月曜日

試写会の準備などなど

午前中、宣伝担当の原田さんと打ち合わせ。昨日のPHスタジオとの打ち合わせを踏まえながら。チラシの印刷を急がないといけないことが判明。結構、ぎりぎり。

それにしても、事務所のネット環境が悪いせいもあって、メールのやりとりが必要なことは自宅でやっている。だからついつい午前中は家にいることが多い。

午後、事務所で作業。某氏からコメントが届いたと原田さんから電話。

明日からいよいよマスコミ試写が始まる。反応はともかく、とにかく来てもらわないことには始まらない。気になるせいか、今日は落ち着かない。

それにしても、と思う。なんとかここまで辿り着いたなあ、と思う今日この頃。(まだこれからが始まりですけど。)なぜなら、昨年の今頃は父の入院・死の宣告と、目の前真っ黒、頭真っ白(日本語ってすごい表現力ですね)の状態だったから。父は一人身だったので僕がついているしかなく、その時点では映画の完成を諦めた。(正確に言うと、映画は完成できると思ったけど、文化庁の助成は諦めた。)そのことをふと思い出し、多少の感慨は、ある。

未分類 — text by 本田孝義 @ 21:34:31

2007/12/9 日曜日

ポケット・フィルム・フェスティバル/BankART

今日は夜、横浜に行く用事があって、ふと思い出して、それならちょうど近くでやっている、”ポケット・フィルム・フェスティバル”なるものに行ってみることにした。

このフェスティバル、要は携帯電話で撮った映画・映像祭、のような感じ。で、僕はコンペプログラム、テーマプログラム計45本、約4時間を見ました。ふー。いやー、さすがに解像度の低い映像を4時間見るのは疲れます。で、見る前から”携帯”というのが気になるわけで、果たして携帯で撮ることをプラスにした作品があるのか、というのがやはり関心事。見始めて、いやー、これは厳しいなあ、と思っていたのだけど、何本か面白かった作品がありました。「Electric wire play」という作品。これは街の電線を延々撮った作品。携帯の機動性が生きていて、次第にンーマン・マクラレンの作品のような美しさが出てくる。(もっとも、こんな作品、前にも見たことあるかも、とも思った。)もう1本は「携帯喧嘩」。子どもが兄弟げんか(もちろん、演出)しながら携帯で撮る、というパンクなアクション映画。この機動性も素晴らしい。ラストが「ノンフィクション」になるのも生きている。

テーマプログラムはさすがに映像作家などが撮っているため、「見える」作品も多い。その中で気に入ったのが「タイムカプセル」という作品。実は、携帯で撮るのはドラマに向かないなあ、と思っていたのだが、この作品は携帯の「記録性」をドラマに見事に融合させて、最後はふっと胸が痛くなる素晴らしい青春映画だった。

携帯映画に未来があるかどうかは、正直分からないけど、何か出来ることがありそうだなあ、とは感じた。

さて、そのあとはBankART1929へ行く。NYKが改修工事に入るため、牛島達治さんと丸山純子さんの展示が終了となり、そのさよならパーティー。僕はいまだにアート界隈のレセプションって苦手なのだけど、見たかったり話が聞きたかったりするから時々参加する。今日はお二人のレクチャーに加え、展示物の一部がプレゼントされ、なんだかとても幸せな気分になった。

そうそう、パーティーが始まる前に、今年夏、越後妻有で僕が撮影した、白井美穂さんの作品にやっと音楽がついたものを見せてもらった。なんとか形にはなったんじゃないか、と。聞けば、来年3月、新国立美術館で上映(展示)されるとか。映画公開とほぼ同時期だから、不思議な感じです。

パーティーの合間に、PHスタジオの方々と映画公開に向けての確認、打ち合わせ。慌しいけど、顔をあわせて話をすれば早いこともある。まあ、大変なこともいいことも打ち合わせできました。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:45:54

2007/12/8 土曜日

編集会議

今日は午前10時から「バイオハザード裁判高裁版(仮)」の編集会議のため、早稲田大学へ。予研=感染研裁判はすでに最高裁の判決が出ているわけだけど、この約20年にもおよぶ運動を総括するような本の出版計画が進んでいる。僕自身も大学卒業後すでに15年ほどこの運動に関わってきた。関わった当初はこんなに長く関わることになるとは思っていなかったわけだけど・・・。

今日で本の全体の構成がほぼ見えてきた。僕自身は、新井秀雄さんの裁判について、原稿用紙約20枚ほど書くことになりそう。来年3月末脱稿となると、ちょうど忙しい時期と重なりそうで、どうなりますか・・。

会議の後、本屋に2箇所よる。最近気になっていた本などをつい何冊も買ってしまい散財。

久しぶりに夢民でカレーを食べる。

時間が出来たので映画を見ようと思っていたけど、なぜかその元気もなく早々と帰宅。

久しぶりに母と電話で話をする。前作『ニュータウン物語』の撮影以来会ってない。岡山・広島方面にしょっちゅう行っているのに、母の住む奈良をいつも素通りして東京に帰っていた。父のこともあったので、会える時に会わないとなあ、とちょっと思った。

未分類 — text by 本田孝義 @ 23:33:48

2007/12/7 金曜日

ちょっと疲れた2日間

昨日は滋賀県にある龍谷大学の瀬田校舎に行っておりました。午後11時半に着く。キャンパス内に「ニュータウンに住みたい!!」というシンポジウムのポスターが貼ってあって、一瞬ひるむ。ポスターまで作っていたなんて・・・。お昼の弁当を食べて簡単な打ち合わせ。もう一人のパネラー、原武史さんとはもちろん初対面。原さんの今年の話題作「滝山コミューン1974」はすごくおもしろいノンフィクション+自分史。

で、午後1時45分から『ニュータウン物語』が上映されたのですが、どうも途中で次の授業時間になったようで、帰る学生が続出。そりゃあ、僕も軽く傷つきます。「映画がかったるいからだろうなあ」とか「僕も学生のときはろくに授業聞いてなかったしなあ」と思ったりしておりました。

その後、シンポジウムになったのですが、原さんが冒頭、先の状態に苦言を呈され、あらためて僕が言うのもはばかられたので内容の話をした。原さんが取り上げた滝山団地と山陽団地は同じ「団地」とは言っても、集合住宅と一戸建てが多いものと街の成り立ちが全然違っていて、ちょっと話がかみ合わなかったかもしれません。が、僕は必死であれこれしゃべって、今になってみると、結構、見当違いなことも言ったかなあ、と思ったりします。

懇親会に出た後、瀬田駅前のホテルで一泊。

それにしても、いまだにこうして『ニュータウン物語』が上映してもらえるのは、多少でも時代の何かに触れていたのかな、とも思います。

朝、9時過ぎ、京都まで出て、西本願寺へ。来月、父の納骨に来ることになるから、事前にちょっと見ておこうかな、と。

午後1時ごろ、東京駅について『船、山にのぼる』の試写用テープを映画美学校に届ける。ノイズが心配だったので、チェックをお願いする。建物を出ると、大学の同級生、山口くんとばったり。彼は映画美学校で働いているのだった。僕は大学時代、彼から16mm、35mmの映写を教わった。一緒に自主上映をやっていた。

2時半頃、事務所着。試写会で配るプレスシートのゲラが届いていて、校正。さらにチラシ用の原稿も届いて校正。ある、著名な方(そのうち明らかに出来ると思うけど)コメントが届いていてうれしい。

今のところ、予定通りに進んではいるのだけど、まだまだルーティーンの範囲。ここからどれだけ広げていけるか、やることはいっぱいあるなあ。

今日は広島公開の最終日。どうだったのかまだ聞いていない。

未分類 — text by 本田孝義 @ 19:55:44

2007/12/5 水曜日

世の中の雑誌

試写状は約1500通出したのだけど、どうも雑誌関係が手薄なような気がして、ちょっとネットで調べてみた。そしたらあるはあるは、出したほうがよさそうな雑誌が次々と。

 そんなわけで、建築・美術・環境関係の雑誌をピックアップして、住所を書き出し(コピペ)ていたら、時間があれよあれよと経ってしまう。まあ、しょうがない。

用事もあったから、遅くなったけど事務所に行って、雑誌の住所録をもとにまたまたひたすら試写状の宛名書き。計55通。

こんなことをせこせことやってる「監督」ってどんだけいるんだろうなあ。

映画館での公開、って言うとはなばなしそうだけど、今のところメインで動いているのは僕を含め2名。こんなもんです。

さて、明日は滋賀県にある龍谷大学瀬田校舎で前作『ニュータウン物語』の上映とシンポジウム。社会学関係の講座のようなので、ちょっと不安。まあ、僕は学者ではないので思っていることをしゃべるだけですけど。

そんなことで、明日は滋賀県で一泊のため、ブログもお休み。

未分類 — text by 本田孝義 @ 21:04:38

2007/12/4 火曜日

試写会の準備は続く

午前中、試写会で配るプレスシート用に足りなかったデータを整理して原田さんに送る。

その後、父の一周忌について寺の住職(親戚ですけど)について相談。実は父の遺骨は3つに分骨したのだけど、まだ一つ残っているのです。この遺骨は、父が僧侶をやっていた関係から、京都の西本願寺に納骨することになっていて、親戚一同、納骨と一周忌法要を一緒に西本願寺でやったらどう、という話になりつつある。多分、そうなると思うけど、それには手続き等もあるので、細かい部分はまたつめないと・・。

それにしても、あまり考えないようにしているのだけど、去年の今頃どうしてたっけ・・とふと思ったり。何せ、去年の年末年始は最悪だったから。

事務所に行って、試写状を追加で出す人を整理。名刺を引っ張り出してみると、なんだかんだと40人ばかし追加。

それはそうと、なんとなく試写状の反応はよさそうな気がする。今日、すでに地方の映画館から2件、問い合わせが入ったし・・。

原田さんからプレスシート用の追加原稿がFAXで届く。2,3意見を言ったけど、これで原稿は揃った、と思う。まあ、なんとか体裁は整ったと思うのだけど。

灰塚の今井さんに電話。先日、わざわざ岡山まで見に来てくださったお礼もあったのだけど、ちょっと頼みたいことがあったから。今井さんの反応もよかったので、実現するとこれは面白いことになりますよ、多分。

未分類 — text by 本田孝義 @ 21:08:46

今日からブログを始めます。

まだホームページ全体は出来ていませんが、ブログだけは早めに始めました。

どうやって映画公開が進んでいくのか、何かの参考になればとも思い、一日の出来事を書いていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

未分類 — text by 本田孝義 @ 9:59:59

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