新・港村 クロージング
ヨコハマトリエンナーレ連携企画”新・港村”が今日、3カ月の会期を終了した。夜、クロージングパーティーに行ってきた。8月6日に始まった頃は、岡山の展覧会を控えていたり、その後は、新作の仕上げと重なったりと、何かと綱渡り的な参加でしたが、個人的にはとても刺激的な展覧会でした。水曜日にVIDEO ACT!のブースを撤収予定。
2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
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ヨコハマトリエンナーレ連携企画”新・港村”が今日、3カ月の会期を終了した。夜、クロージングパーティーに行ってきた。8月6日に始まった頃は、岡山の展覧会を控えていたり、その後は、新作の仕上げと重なったりと、何かと綱渡り的な参加でしたが、個人的にはとても刺激的な展覧会でした。水曜日にVIDEO ACT!のブースを撤収予定。
今日、映画を1本見たのだが、タイトルを書きたくない。久しぶりに腹がたった映画だった。脚本に大穴が空いていると思うのだが(と普通、つい書いてしまうのだが、脚本を読んでいないので、推測でしかない。なぜなら、脚本が現場で変えられることがあるからだ。)製作者たちはそれでいい、と思ったのだろうか。そういうもんなのだろうなぁ。
今日は2本のドキュメンタリー映画を試写で見た。
まず、1本目は『イエロー・ケーキ クリーンなエネルギーという嘘』(監督:ヨアヒム・チルナー)という、ドイツのドキュメンタリー映画。タイトルの”イエロー・ケーキ”とは、原発問題について詳しい方なら知っていると思うが、ウランを精製して出来る、原発の燃料になる製品のこと。本作はその、ウラン採掘の問題を世界中に取材した作品。僕は福島第一原発の事故が起きてから、いろんなことが議論されるなかで、川上にあたるウラン採掘の問題がほとんど語られていないことに不満があった。最近ではやっと、核廃棄物の問題は広く認識されてきたようだけど、日本は現在、ウランに関しては100%輸入に頼っていることもあって、ウラン採掘はどこか遠い国のこと、自分たちとは関係ないことのように思われているのかもしれない。そんな中、こうした映画が公開されるのはとても意味がある、と僕は思う。映画は東ドイツのウラン採掘から始まる。ウランを採掘しても燃料に使えるのは1%ほどなので、膨大なボタ山=無駄なごみの山が出来上がる。この光景はほとんど黙示録的な風景だ。こうしたごみも当然、放射能を発しており、被曝の危険性があるし、事実、ウラン採掘を行ってきた労働者の多くになんらかの病気がみられるという。その後、映画はナミビア、オーストラリア、カナダとウラン採掘の現場を追う。(ちなみに、この3カ国から日本はかなりウランを輸入している。)僕が特に気になって見ていたのは、オーストラリアだった。オーストラリアから輸入しているのが一番多いはず。ここでは先住民・アボリジニの土地を奪い、ウラン残土からの健康被害も起きている。映画を見て唖然とするのは、とにかく特段の施設もなく、ひたすら残土を捨てている光景だ。映画でも少しふれられているが、ここで採掘されたウランは日本に来ているのだ。同時に、映画では触れられていないが、こうしたウラン鉱山には日本の電力会社の資本も入っている。また、映画のラスト近くになって、除染作業の様子が出てくるが、到底、あの程度ではまともに除染が出来るとは思えない。この映画を見てあらためて思ったのは、結局、人類は核エネルギーをコントロール出来なかった、ということだと思う。蛇足になるが、原発事故後、多くの政治家がエネルギー自給率のために原発が必要だ、という頓珍漢なことを言っているのを聞いて正気を疑った。先に書いたように、ウランは100%輸入だし、すでに埋蔵量の限界も見えている。本当にエネルギー自給率のことを考えるなら、無尽蔵でしかもタダの太陽や風を利用するのは小学生でも分かりそうなものなのに・・・。もうひとつ、蛇足を書くなら、僕の出身県である岡山県には人形峠というところでウラン採掘がおこなわれていた。(現在、閉山)ここでもウラン残土の扱いが大問題となってきたのだった。
2本目に見たのは『トーキョードリフター』http://tokyo-drifter.com/ (松江哲明監督)。先日、東京国際映画祭でも上映され、すでに大きな話題となっている。松江監督の前作『ライブテープ』同様、ミュージシャンの前野健太が街の中で歌う、という部分では同じなのだがかなりテイストの違う作品になっている。まず、前作が全編1カットで撮られていたことに対し、本作はいくつかの場所で撮られている。続けて書けば、本作で最も印象に残るのは、時には手ブレでガタガタする画面だ。(時にはピンボケも。)明らかに量販店で売っているような小型のカメラで撮られている。普通の「映画」なら、何だそれ、となりかねないような画面だが、本作はそのカメラが暗い街、前野の声と呼吸しているような感覚を持っている。一方で、録音はきちんとされていて、そのギャップがより映画の息遣いを高めている。前作と全然違う、松江監督の戦略は今作でも十分生きている、と思った。
今日は19:30~横浜の新港村で、VIDEO ACT!『3・11』の上映だった。内容に関してはいろいろあるかもしれませんが、僕個人としては、とりあえず上映が成立したことでほっとしています。3・11をテーマに映像作品を募集することを決めたのはいいけれど、本当に作品が集まるのか、不安だったし、プレッシャーもありました。何はともあれ15作品集まったし、様々な角度から3・11を受け止めている人たちがいる、そのことを表現する人たちがいることが分かり、提示できたことは意味があったと思ってます。もうひとつ個人的には僕の『曇り空』はちょっと物議をかもしましたが(?)、心境は分かると言ってくれる方もあり、ほっとしました。まだ先になると思いますが、いつかは頒布用DVD(実費だけでの販売)が発売されると思いますので、見れなかった方はしばらくお待ちください。
これで新港村で8月から続けてきた上映会もファイナル。正直、観客の入場者数は厳しいものがありましたが、新港村にVIDEO ACT!として参加できたのはよかったと思います。
次は自分の新作の上映に向けて動かないといけない、今日この頃。
明日のVIDEO ACT!「3・11」上映会に向けて、配布資料やら諸々準備。もちろん、上映素材もチェック。(と言うのは、一昨日、ミスを見つけたので昨晩修正したりしていた。)これで、準備完了。