2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。
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2012/1/15 日曜日
今日は「東京藝大先端芸術表現科卒業・修了制作展2012」を見に横浜のBankARTに行ってきた。BankARTはこの季節、いろんな美術系の大学の卒業展が目白押し。今やすっかり定着したようだ。僕は毎年先端芸術表現科の卒展は見に行くようにしている。3階から見始めたのだが、映像作品が多くて少し疲れた。自分も美術展で映像作品を出しながら言うのは矛盾しているが、美術展での映像作品はやはり見ていて疲れる。この展覧会だけではないが、今やハイビジョンの高精細な映像が当たり前になって、随分見栄えは良くなった。だからこそ、何が映っているのかが問われてもいる。少し駆け足で全部を見た。感想は割愛。その後、2時から「10 MONTH AFTER 3.11」と題したシンポジウムを聞く。パネラーは高山登、八谷和彦、鈴木理策、イルコモンズ、大友良英、高嶺格、山川冬樹。約3時間の長丁場のシンポだったが、とても刺激的で有意義なシンポだった。
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:28:18
2012/1/14 土曜日
今日は『“私”を生きる』の初日に行ってきた。満席。上映延長が決まったそうだ。4カ月後、僕もそうありたいものだ、と思った。今日は観客の反応もよくて、また違った感覚で見ることが出来た。
未分類 — text by 本田孝義 @ 22:17:04
2012/1/13 金曜日
事務所にて『モバイルハウスのつくりかた』の資料作成。自分も文章を書いてみたのだが、つい、長くなってしまった。またこれからおいおい直していくことにしよう。
未分類 — text by 本田孝義 @ 21:48:20
今日は午後から『無言歌』(王兵 ワン・ビン監督)を見た。本題に入る前に、少し書いておこう。2003年に山形国際ドキュメンタリー映画祭でワン・ビン監督の『鉄西区』を見た時の衝撃は今でも忘れられない。9時間を超える作品であったこともそうだが、それ以上に、監督としての力量に恐るべきものを感じたからだ。話は飛ぶのだが、日本のドキュメンタリー映画の巨匠と言えば、土本典昭監督、小川紳介監督がいるわけだが、僕は半分冗談で両監督を比較して、野球選手で言うなら前者を王貞治タイプ、後者を長嶋茂雄タイプと言ったことがある。暴論承知で言えば、前者は努力型、後者は野生型とでも言えようか。(あくまでもイメージの話であって、厳密なものではない。)そこでふと現在のドキュメンタリー映画の監督を見渡した時に、長嶋茂雄タイプの監督はいないことに気付いた。もう、日本ではこういうタイプの監督は出ないだろうな、と思っていたところに、中国から表れたワン・ビン監督こそ、小川紳介監督の資質に最も近い監督だと思ったものだった。実際お会いしたワン・ビン監督は飄々として、野生型などでには見えないのだが、映画は違うのだ。では何が小川紳介監督の資質に近いかと言えば、時に映画内の整合性やストーリーを度外視しても、もっと大きな何かを力づくで鷲掴みにするような豪胆さを持っていることだ。さらに不謹慎を承知で書けば、ナイフの切れ味ではなく、棍棒のような鈍器でたたく感じなのだ。とにかく、こういうタイプの監督はなかなか現れないだろう。
さて前置きが長くなったが、『無言歌』はそのワン・ビン監督の初長編劇映画。1956年、中国では毛沢東が自由な批判を歓迎するとしたのだが、翌年、急に前言を翻してしまった。同時に批判の声を上げた人びとを弾圧する「反右派闘争」が始められる。思想矯正という恐ろしい目的のため、多くの人が強制収容所に送られ、強制労働を強いられる。映画は前半、特に中心人物を定めることもなく、この強制収容所の様子を丁寧に描き出していく。お粥のようなものを啜り、それすら無くなれば草を集め、ネズミを捕まえる。おぞましくも他人のおう吐物すら食べるものもいる。そして、人びとが音もなく次々に居絶えていく。そう、映画の中でこんな、丸太が倒れるような死の描き方を僕は見た記憶がない。そこには、感傷も何もない。即物的な死があり、物のように運ばれる死体がある。僕はつい、これはホラー映画だ、と思った、現実の出来事を描いているにも関わらず。それほど恐ろしい。後半、上海から来た女が夫の死を知ってから、物語が立ち上がってくるのだが、荒涼とした砂漠を歩き、墓(というより死体)を捜す光景はどこかシュールでもある。映画は収容されていた人が解放される(しかし次にも人が送り込まれることが暗示されている)シーンの後、唐突に終わる。傑作である。僕は映画を見ながら、ワン・ビン監督の資質をどう表現すればいいのか考えていた。普通、すごい才能、と言うのだろうが、どうもしっくりこない。僕が思ったのは、体質だ、というものだった。生まれついての映画を撮らずにはいられない体質。どこをとっても映画がにじみ出してくる体質。そういう監督はほとんどいない。僕にはそう思えるのだった。
未分類 — text by 本田孝義 @ 0:54:02
2012/1/11 水曜日
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:55:55
2012/1/10 火曜日
今日は日中、事務所にて某映画のダビング作業。(夜、ミスが発覚して明日やり直し・・・。)
夜、『渋谷ブランニューデイス』製作委員会(今や上映委員会?)の会議。今後の展開を話し合う。会議直前、明るい話題が!話がうまく進めばいいのだが・・・。
未分類 — text by 本田孝義 @ 22:50:37
2012/1/9 月曜日
今日は散歩がてら、久しぶりに東京スカイツリーに行ってきた。今年5月のオープンを控え、テナント施設や駅周辺も工事が急ピッチで進んでいる。さすがに、随分、雰囲気が変わっていた。それでも、近くから見ると、いかに狭い土地に建っているかが分かり、圧迫感を感じてしまう。今日が休日ということもあって、すごい人だかり。周辺の方は大変だろうなあ。開業後も展望台に上るには予約がいっぱいらしいので、当分、上れそうにないな。
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:15:47
今日は『普通に生きる』という、ドキュメンタリー映画を見た。昨日が初日だったのだが、行けなかったので2日目に行った次第。静岡県富士市にある生活介護事業所でら~とを描くドキュメンタリー。映画の冒頭、重度の障害を持つ兄妹が出かける準備をしているシーンから始まる。何気ないシーンだけど、撮影者と写される人たちの信頼関係があってこそ撮れるとてもいいシーンだ。昨日、土井監督が「ドキュメンタリー映画は撮影が始まる前の関係が重要だ」と言っていたことを思い出した。本作の舞台でら~とが先進的でユニークなのは、重度心身障害児の親たちが、養護学校卒業後、施設に入るか、家庭で介護するしかない状況だった中で、本当に自分たちが望む場所を一から議論して立ち上げていったことだ。その労力や並大抵ではなかったことは想像できるが、その時のことを語る方々の表情はどこかすがすがしい。同時に、親たち、でら~とな望んだのは、子どもたちが地域の中で生き、地域に開かれていくことだった。「福祉」の話になると、つい、啓蒙的になるか、少々無理やりな感動話になってしまうことがあるが、本作にはそういう感じはない。僕が感じていたのは、スクリーンから爽やかな風が吹いてくることだった。映画を見てそんな気持ちになったのは随分、久しぶりかもしれない。上映後、本作の撮影・プロデューサーである、貞末さんに久しぶりにお会いした。
未分類 — text by 本田孝義 @ 0:09:12
2012/1/7 土曜日
今日は来週14日から公開される、『“私”を生きる』(監督:土井敏那)というドキュメンタリー映画の試写会に行ってきた。この作品は、東京都の教育現場で起きている、言論・思想の統制に抗う教師3名の映画。出てくるのは、根津公子さん、佐藤美和子さん、土肥信雄さん。根津さんは卒業式で君が代を歌うことは出来ないとして、起立しない、不起立を貫き処分された。佐藤さんはクリスチャンとして君が代の伴奏は出来ないとして処分される。土肥さんは校長という立場ながら、職員会議での教師の議論を禁ずる命令に従えないという立場を表明した。いずれも、国旗・国歌法が制定された後、東京都教育委員会が今まで以上に思想統制を強めてきた中で、自分の信条に嘘を付けないと思い行動してきた方々だ。僕は映画を見ながら、自分が初めて映画館で公開した映画『科学者として』の主人公・新井秀雄さんのことを考えていた。新井さんは教師ではなく、細菌学者。国立感染症研究所の危険性を内部から批判してきた方だ。3人との共通点があった。まず、根津さんは本作の中で「逃げることは出来ない」と語っている。新井さんも同じことを言っていた。佐藤さんはクリスチャンで新井さんも同じくクリスチャン。新井さんは管理職ではなかったが、土肥さんが「言論の自由」をとても重要だと考えておられるように、新井さんは自著出版をめぐって所内で処分を受けた際に、裁判を提訴し、言論の自由を全面に主張して争った。(ちなみに、僕はその裁判を支える会の事務局長をしていた)残念ながら新井さんの裁判は最高裁まで争ったが負けてしまった。僕自身は身近でこういう方を見てきたので、3人の教師の姿にいろんなことを重ね合わせて見ていた。僕が『科学者として』を公開した時に、観客の声として、会社を含む組織の中で従えない命令などがあった場合、どう行動するのか考えさせられた、という声があった。監督の土井さんもチラシに書かれているように、本作は組織に流されない生き方について考えさせられることが多い映画だと思う。もうひとつ、新井さんとの共通点がある。新井さんも3人の教師も公務員、ということになる。新井さんが言われていたのは、公務員とはパブリック・サーバント=公に使える人であって、公とは市民だ、ということだった。昨今、教師は公務員として国家の命令に従うべきだ、という声まで聞かれるが、僕は公=国家、ではないと思う。だから、公務員が従うべき公とは何か、ということはちゃんと考えられたほうがいいと思う。そして、この映画は、命令に従わない教師はけしからん、と思っているような人にこそ見てほしい、と思った。例え意見が違ったとしても。
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:42:36
2012/1/6 金曜日
過去最大規模とか言われている、歌川国芳展に行ってきた。歌川国芳というと、つい奇抜な浮世絵のイメージが強いのだが、僕は今回まとまった量の浮世絵を見て、少し印象が変わった。役者絵や架空の人物画が最初の方に展示してあるのだが、まず圧倒的な迫力の構図に目が引き込まれるのだ、細部を見ていくと実に繊細な表現があることに気付く。これはどんなに奇抜な題材になっても変わらない。また、風景画の大胆で繊細な構図も印象に残った。不勉強で知らなかったのは恥ずかしいのだが、天保の改革の一環で役者や芸者の絵の出版が禁じられ、そのことが契機になって、奇想天外な、不思議な絵の数々を描いたことも知ることが出来た。最後に、あらためて思ったのは、浮世絵を支えていた、彫士の人たちの技量の高さは本当にすごかったのだと思った次第。
未分類 — text by 本田孝義 @ 23:33:09
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