『ビルマVJ 消された革命』
世の中には命がけの取材、というのがある。秘境や厳しい気象条件での撮影などもそうだが、圧政が強いられている場所での取材も命がけだ。先日発表された、アカデミー賞ドキュメンタリー部門では、残念ながら受賞にはならなかったが、ノミネートされていた作品『ビルマVJ 消された革命』(英語のHPはこちら。予告編も見れます。)は、そうした取材で出来たドキュメンタリー映画だ。事実、日本でもニュースで大きく報じられた、2007年に兵士に射殺されたジャーナリスト長井健司さんの映像もこの映画に出てくる。(現在の軍事政権を認めない人たちは、ミャンマーではなく、旧国名ビルマを使うことが多い。だから、映画のタイトルと同じく、以下、全てビルマと表記。)今日、試写で見ることが出来た。VJとは、ビデオ・ジャーナリストの略。もっとも、僕は意図的に、クラブなどで活躍しているビデオ・ジョッキー=VJのニュアンスも含むのかな、などと思っているのだが。前置きが長くなってしまったが、ビルマの軍事独裁政権のもとでは、ビデオカメラを持って取材すること自体がかなり危険を伴う。それでも、ビルマの現状を伝えたいと思った、ビデオ・ジャーナリストたちは小型カメラを隠しながら、街頭デモの様子を撮り続ける。この映画は、彼らが取材した映像を編集して、1本のドキュメンタリーにまとめたもの。興味深いのは、小さなデモが何度か繰り返され、さらに僧侶たちが立ち上がり、10万人規模のデモに膨れ上がっていく、そのうねりの過程が見れることだ。特に感動的なのは、政治には介入しないはずの僧侶たちが、抗議の意思を示すため、托鉢の鉢を逆さにして裸足で行進する姿だ。沿道の方々の表情を見ていると、僧侶が尊敬されていることがよく分かる。しかし、この大規模な抗議行動は、軍隊に鎮圧されてしまう。軍隊がトラックで駆けつけるシーンは、どんな映画よりも恐ろしい、背中がぞっとしたシーンだった。その直後、冒頭に書いた、長井さんが射殺される場面となる。映画は、こうしたVJたちの映像をつなぎつつも、もうひとつ、ドラマチックな要素が加わっている。身の危険を感じたVJ、ジョシュアがタイに逃げ、そこからビルマ国内のVJたちと連絡を取りながら話が進むのだ。この映画の主人公とも言うべき、ジョシュアのシーンは再現シーンだ。一つには、現実には撮影されていなかった、もう一つには顔を明かすことは生命の危険がある、などがあると思う。こうした演出の是非は意見が分かれると思うが、僕は「あり」だと思った。デモの映像が、どれだけ緊迫した中で撮影されたかを伝える方法としては、間違ってはいないと思う。また、もう一つ重要な演出は、撮影された映像をカメラの液晶画面や、撮影した映像が海外のニュースや「ビルマ民主の声」(本部がオスローにある衛星放送)で流れるのをモニターで見ているシーンが何度も出てくる。こうしたシーンは、一度、映画内で取材シーンを相対化する映像だ。これらの演出から分かるかも知れないが、この映画の監督は、ビルマのVJではない。デンマークのアンダース・オステルガルド、という監督だ。
僕は映画を見ながら、この映画を見てほしい人が何人も浮かんだ。また、特に強く見てほしいと思ったのは、日本の仏教徒、僧侶の人たちだ。たとえ異国の地、考え方の違いはあると思うのだが、ビルマで立ち上がって弾圧された僧侶の姿をぜひ見てほしいと思う。僧侶だった父が生きていれば、僕は父に強く勧めただろう。また、ジャーナリズム、あるいはメディア論を勉強しているような学生にも見てほしい、と思った。もちろん、今のビルマの状況を憂慮し、アウンサン・スーチーのことが気になっている人たちは言わずもがなであるが。5月シアター・イメージフォーラムにて公開。
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