『1000年の山古志』
先々週末、山形国際ドキュメンタリー映画祭に行ったのですが、その10月10日には都内の映画館で数多くのドキュメンタリー映画が公開になっていて、ちょっとした驚きと感慨をいだきました。映画館でドキュメンタリー映画が上映されることが珍しかった時代を知っている世代としては隠世の感があります。もちろん、面白い・面白くない、いい・悪いはいろいろあるでしょうが、それは劇映画だって同じこと。まずは見れる環境になっていることはいいことだ、と単純に思います。できるだけ見たいと思うのですが、どこまで追いつけるか。
さて、今日は『1000年の山古志』を見ました。ドキュメンタリー映画を見る面白さの一つに、大きな出来事のその後を見れることがあります。たった5年前のことなのに、中越大震災のことは忘れかかっています。この映画の冒頭でも映し出されるように、全くの孤立地区となり全村民が避難した山古志村のことは何度もニュースで取り上げられていました。この映画は、その後4年間でどう村が復興していったかを描いた作品です。見ながら、よく撮ったなあ、と素直に思いました。と言うのも、「復興」の様子を撮りたいと思うのは簡単ですが、撮る側がいくら予想を立てても実際に復興していくまでには時間がかかります。その時間を粘り強く撮るのは簡単なことではない。この映画では住民の方々の心のひだまで丁寧に映し出している。もっとも、復興とは言っても、何か大きなことがあるわけでもなく、「普通」の生活を取り戻すささやかな営み重ねられるわけで、そういう意味では地味。でも、その地味なことが本当の「復興」なんだろうなあ、と実感できる。映画の最後のほうに描かれる、田んぼに水が入るシーンは感動的だ。全体的にはオーソドックスだけど、僕はオーソドックスな映画も好き。変に奇をてらったり、もったいつけた映画はあまり好きではない。監督の橋本信一さんは前作『掘るまいか』が山古志村を舞台にしたドキュメンタリーでした。その後に、中越地震が起きてしまったわけで、監督としてはこの映画を作るのが宿命みたいなものだったかもしれません。
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