『四川のうた』/打ち合わせ/会議
ユーロスペースで『四川のうた』(監督:ジャ・ジャンクー)を見た。久しぶりに、奇妙な映画を見た、という印象が強く残る。その奇妙な、という感触を説明するのはとてもやっかいだ。大雑把に言えば、この映画の肌触りが奇妙なのだ。いくつものインタビューが出てくるので、引っ掛かりを持たなければドキュメンタリーの形式に思える。しかし、流麗なドリーショットがあったりして、単純なドキュメンタリーでないことはすぐに分かる。同時に、見る前に知っていたことがいいのか悪いのか分からないが、インタビューのいくつかは役者が「演じて」いるものなのだ。だからといって、ドキュメンタリーという形式をひっくり返すようなものでもない。表面的にはインタビューに答えている、というようにしか見えない。以前、僕はある場所でインタビューだって演出だ、と書いたことがあるのだが、本人も役者も混交したインタビューは不可思議な肌触りを持っている。と同時に、過剰とも思える音楽と深長な詩が挟まる。これらの目論見がうまくいっている、とは僕には思えなかった。だから、面白いとは思えなかった。けれども、これが映画の不思議さでもあるのだが、とても参考になることが多く、得るものは多かった。少しばかり、僕が今リサーチしていることと重なる部分があったからでもあるし、カメラの選択も含めて、どういう方法があるのか悩んでもいたからだ。そして映画を見ながら強く思っていたのは、近年の中国映画におけるいくつものドキュメンタリー映画と確実に共振している映画だということ。かつて故・小川紳介監督は「劇映画とドキュメンタリー映画は車の両輪だ。ドキュメンタリー映画に力がなければ、劇映画も面白くならない」と語っていた。小川監督たちが精力的にドキュメンタリー映画を作っていた時代は、確かに劇映画の監督とも共振していた。多分、今、中国では同じことが起きている。それに比べて、日本は・・・心許ない。
映画を見た後、上京されていた岡山映画祭の小川さんと会う。今週末の津山上映について、簡単な打ち合わせ。僕のわがままを許していただけそうだ。
夜、VIDEO ACT!の会議。
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