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映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

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2007/12/30 日曜日

今年もあと2日/『椿三十郎』

今年も残すところあと2日。だからと言って特別なことはあまりない。実家にも帰らないしね。(そもそも実家に帰っても文字通り何もないので。)だから、のんびりしよう、と昨日書いた。

のんびり、と言いながら、家にいるのもいやだったので、家の近くの映画館に出かけた。歩いていけるところに映画館があると、ぶらっと映画館に行く、なんてことが本当に出来てしまう。

今日、見たのは『椿三十郎』。予告編を見た時は、ああ、あやしいリメイクだなあ、と思ってあまり見る気がしなかったのだけど、なんとなく気になりだしやっと見ることが出来た。もともとの黒澤明監督作品はとても好きな作品。確かはじめてみたのはテレビだったけど。

さて、そのリメイク版『椿三十郎』。黒澤版を見ている人はどうしても比べてしまうんだろうなあ。結果、僕の感想は、非常に残念な作品だなあ、というもの。けっしてダメな作品とは思わない。監督の森田芳光、主演の織田祐二も頑張っているしセットなどもよく出来ている。本当にスタッフ、キャストも頑張っている映画だと思う。だけれども、もともとの脚本をそのまま使っている(今回、あらためてこの脚本の素晴らしさを思う)わけだけど、この脚本、明らかに三船敏郎にあてて書かれている、とみた。だから、主人公のキャラクターと織田祐二という俳優のキャラクターが全く合ってない。僕は織田祐二という俳優はけっして嫌いではない。だから残念なのだ。『椿三十郎』という映画は橋本治が「完本チャンバラ時代劇講座」で詳細に分析しているように、基本構造は若侍の教育映画なのだ。だから、椿三十郎には若侍を「教育」出来る貫禄、少なくとも違いがなければ成立しない。だけど、(俳優の実年齢はおいておいて)織田祐二はどうしても「万年青年」の趣があって、むしろ若侍に近すぎるのだ。結果、手前に椿三十郎、バックに若侍という構図が頻出しても、説得力がない。そして、この映画の肝と言うべき家老の妻が言う名セリフ「あなたはギラギラしている。抜き身の刀のよう。いい刀は鞘に入っているものです。」には、織田祐二のキャラクターには合わないのです。一事が万事この調子。そして、多分、考えたであろう、ラストシーン。結果、これまた大外し。やはり映画史上屈指の名シーンから「逃げた」としか見えなかった。残念ながらどういう順序で企画が成立したのか分からないけど、どだい企画に無理がある。やはり映画は難しい。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:40:19

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