『“私”を生きる』
今日は来週14日から公開される、『“私”を生きる』(監督:土井敏那)というドキュメンタリー映画の試写会に行ってきた。この作品は、東京都の教育現場で起きている、言論・思想の統制に抗う教師3名の映画。出てくるのは、根津公子さん、佐藤美和子さん、土肥信雄さん。根津さんは卒業式で君が代を歌うことは出来ないとして、起立しない、不起立を貫き処分された。佐藤さんはクリスチャンとして君が代の伴奏は出来ないとして処分される。土肥さんは校長という立場ながら、職員会議での教師の議論を禁ずる命令に従えないという立場を表明した。いずれも、国旗・国歌法が制定された後、東京都教育委員会が今まで以上に思想統制を強めてきた中で、自分の信条に嘘を付けないと思い行動してきた方々だ。僕は映画を見ながら、自分が初めて映画館で公開した映画『科学者として』の主人公・新井秀雄さんのことを考えていた。新井さんは教師ではなく、細菌学者。国立感染症研究所の危険性を内部から批判してきた方だ。3人との共通点があった。まず、根津さんは本作の中で「逃げることは出来ない」と語っている。新井さんも同じことを言っていた。佐藤さんはクリスチャンで新井さんも同じくクリスチャン。新井さんは管理職ではなかったが、土肥さんが「言論の自由」をとても重要だと考えておられるように、新井さんは自著出版をめぐって所内で処分を受けた際に、裁判を提訴し、言論の自由を全面に主張して争った。(ちなみに、僕はその裁判を支える会の事務局長をしていた)残念ながら新井さんの裁判は最高裁まで争ったが負けてしまった。僕自身は身近でこういう方を見てきたので、3人の教師の姿にいろんなことを重ね合わせて見ていた。僕が『科学者として』を公開した時に、観客の声として、会社を含む組織の中で従えない命令などがあった場合、どう行動するのか考えさせられた、という声があった。監督の土井さんもチラシに書かれているように、本作は組織に流されない生き方について考えさせられることが多い映画だと思う。もうひとつ、新井さんとの共通点がある。新井さんも3人の教師も公務員、ということになる。新井さんが言われていたのは、公務員とはパブリック・サーバント=公に使える人であって、公とは市民だ、ということだった。昨今、教師は公務員として国家の命令に従うべきだ、という声まで聞かれるが、僕は公=国家、ではないと思う。だから、公務員が従うべき公とは何か、ということはちゃんと考えられたほうがいいと思う。そして、この映画は、命令に従わない教師はけしからん、と思っているような人にこそ見てほしい、と思った。例え意見が違ったとしても。
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