2008年春、渋谷ユーロスペースにてレイトショーされる
映画『船、山にのぼる」の監督・本田孝義のブログです。

本田孝義

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2011/11/15 火曜日

『天皇ごっこ』

気が付いたら今週末で上映が終わると知って『天皇ごっこ 見沢知廉・たった一人の革命』(監督:大浦信行)を見に行った。正直に書くと僕は見沢知廉の本を読んだことがない。だからファンでもない。そんな人間が見るのはどうかと思うが、逆にどういう人か知りたいからこそドキュメンタリー映画を見る、ということはある。タイトルの「天皇ごっこ」は、内ゲバで同志を殺した見沢知廉が獄中で書いた小説。本作は基本的に生前の見沢知廉を知る人びとが彼のことを語り、実像を浮かび上がらせるのだが、もうひとつ大きな仕掛けがあって、彼には双子の妹がいたという虚構を導入し彼女が彼の足跡を訪ねる、という演出が加わっている。僕はこの演出が最後まで馴染めなかった。話が脱線するのだが、最近、文庫になった「ゼロ年代の想像力」を読んだ。この本で90年代以後の小説・アニメ・漫画などでたくさん描かれたいわゆる「セカイ系」の作品が批判されているのだが、その大きな根拠に母性的承認に埋没していることが挙げられている。本作は必ずしもその構図に当てはまるわけではないが、同じような心象を感じてしまった。それは本当に見沢知廉を描くにふさわしい企てだったのか、僕はどうしても疑問をぬぐえない。各人が語る、見沢知廉の思考はそれぞれに興味深いものだった。もうひとつの特徴としては、インタビューの映像もかなり凝っている。撮影は近年の若松孝二監督作でもなくてはならない存在になっている、辻智彦。独特の絵画的ライティング、カメラ移動など飽きさせない描き方が随所にあるのはさすがだ、と思う同時にちょっとやりすぎかな、と思うこともあった。例えば、カメラを動かし人物からカメラを外すカットなどだ。「画」としては面白いのだが、はたしてこの映画にふさわしい演出なのかはちょっと考えてしまう。総じて、僕はいろんな演出が凝らされた映画なのだけど、本当はもっとソリッドな映画の方が見沢知廉という人物を描くにはふさわしかったんじゃないか、という気がしている。

未分類 — text by 本田孝義 @ 22:49:18

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