『ニーチェの馬』
今日は来年頭に公開される、『ニーチェの馬』(監督:タル・ベーラ)という映画の内覧試写があったので見に行った。すごい映画だった。ただ、何が「すごい」のかを説明するのはかなり難しいし、僕の語彙では不可能だ。映画の内容を簡単に書くと、暴風が吹き荒れる家での農夫と娘の6日間、という味もそっけもない書き方になってしまう。(この農夫が馬を飼っているのだが、この馬がニーチェと関係があるらしい。)映画はファーストショットで、馬が馬車を曳くところを延々映すのだが、この映像が異様な迫力に満ちている。同時に、奇跡的なカメラワークで映画のただならぬ雰囲気を刻みつける。映画は乱暴に言ってしまえば、物語的映画と詩的映画があると思うのだが、この映画はどちらにも当てはまらない。僕は端正なモノクロ、少ないセリフで始まったので、勝手に詩的な映画かと思ったのだが、どうも違う。ストーリーはほとんど無きに等しいが、無いわけではなく、上質な短編小説、といった趣だろう。だが、映画は2時間半近くあるのである。じゃあ、短編小説を水増ししたものかというとそれも違う。なぜなら、僕はこの2時間半、全く飽きることがなかったからだ。では、何が根底を支えているかと言うと、僕はカメラワークではないか、と思っている。映画はよく「時間」と「空間」を創る芸術、と言われたりするが、本当にそれを実現している映画は少ない。僕はこの『ニーチェの馬』は数少ないそういう映画なのだと思う。特にいいのはステディカムの使い方だ。ステディカムが開発されてから、安易に使っている映画がいっぱいあるわけだが、ちゃんと意味のある、空間をどう見せるか、ということにステディカムをこの映画ではかなり意識的に使っている。同時に、室内のカメラの動きもいい。だから、セリフも少なく、話も少なくても緊張感を持って見ることが出来る。言ってしまえば、とても構築的な映画で、そういう意味では建築的な映画かもしれない。
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