アーティストの目に映る郊外
今日は夜、UPLINKに行って「アーティストの目に映る郊外」を見てきた。昼間、書籍を読んでいたのだけど、まだ半分ぐらいしか読めなかった。第一部では『新景カサネガフチ』(佐々木友輔 監督)の上映。とても不思議なテイストの映画だった。ごく大雑把に書いてしまえば、郊外(この映画の舞台は取手)の風景論とも言うべき映画なのだが、いくつもの仕掛けがある。まず、怪談としても有名な累ヶ淵の話がポツリポツリと語られる。そして語っている夫婦は未来から現在を語る、一種SF的な設定を持つ。さらにややこしいのが、この夫婦のモノローグを女性の同一人物が語っている。こうした重層的な構造を持ちつつも、映画はひたすら郊外の風景を切り取っていくのだ。僕が映画を見ながら気になっていたのは、散歩しているシーンなのに、なぜ映像は自転車に乗って撮られているのだろう、と思っていたのだが、上映後のトークで佐々木監督が「16:9の画面だと歩いて撮ると縦ぶれがひどいから」と言っていて少し納得。でも、そのブレでも歩く速度がいい場合もありそうな気がしている。第2部では小谷元彦さん(美術家・彫刻家)、藤原えりみさん(美術ジャーナリスト)、藤田直哉さん(SF・文芸評論家)、佐々木友輔さん(映像作家・企画者)によるトーク。内容は多岐にわたるが、藤原さんが「この映画は怖い」と言った所から、ゴーストについての話がひとしきり盛り上がる。その話を聞いていて、僕が『ニュータウン物語』を撮っていた時に感じていた、「ニュータウン(郊外)には”死”がない」(本当に死なない、という意味ではなくて死を受け入れる、坊さんやお墓などの仕組み)と思っていたことを思い出し、最近、そうした郊外にはセレモニーホールが徐々に増えつつあることにも頭がよぎった。だから、つい、質問してしまった・・・。
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