『ナチス、偽りの楽園』
今日は『ナチス、偽りの楽園―ハリウッドに行かなかった天才』(監督:マルコム・クラーク)というドキュメンタリー映画の試写会に行った。映画を見ながら、本作を表すのに一番ぴったりな言葉が浮かんだ。それは、史上最も残酷な「やらせ」映画の内幕、というもの。ちょっと下世話に書いてみたのだが、この背景を説明するとなかなかに複雑。僕は不勉強でこういう事実があったことを知らなかった。本作の主人公は、クルト・ゲロン、という人。ユダヤ系ドイツ人で戦前の映画でわき役として活躍し(有名な映画では『嘆きの天使』)舞台の役者でもあったそうだ。(後に監督にもなる。)ナチスが台頭する中、多くのユダヤ系の映画人(例;フリッツ・ラング監督、ビリー・ワイルダー監督)らがドイツを離れハリウッドに向かうが、ゲロンは脱出しそびれてしまう。その後、フランス、オランダと流れていくがナチスのヨーロッパ侵攻によって、結局、収容されてしまう。収容されたのは、テレージエンシュタット収容所、というところだった。僕はこの収容所のことを知らなかったのだが、多くの収容者はここからさらに別の場所(例;アウシュビッツ)に移送されたそうだ。そういう意味では一種の中継地点のような所。(もちろん、この収容所で亡くなった人も多いが、いわゆるガス室のようなものはなかったらしい。)また、ここに送られたのはユダヤ人の中でも「名士」的な人だったそうだ。そして驚くべきことに、ナチスドイツはユダヤ人虐殺をごまかすために、このテレージエンシュタット収容所が素晴らしい場所であることを示すために、庭園やコンサートホールなどを作って、国際赤十字に公開した。その流れの中で、クルト・ゲロンにプロパガンダ映画(ドキュメンタリー)を撮らせることになったのだ。僕があえて「やらせ」という言葉を使ったのは(普段、この言葉はあまり使わない)、2重の意味がある。まず、タイトルにあるように、テレージエンシュタット収容所自体が壮大な「虚構」であること。加えて、そこで暮らすユダヤ人の「笑顔」を演出するようなやり方が「やらせ」であることだ。そして、「残酷」という言葉を使ったのは、こうした構造自体が残酷であり、監督を任されたクルト・ゲロン自身は、アウシュビッツに送られるか、映画を撮るか、という究極の選択を迫られたことだ。少し事例が違うが、リーフェンシュタールの話を聞くと、僕ならどうするだろう、と考えることが出来たけど、クルト・ゲロンのような境遇なら、自分はどうするか、とても考えが及ばない。結局、その映画は公開されず、断片的に映像が残っているだけのようだ。そして、映画の最後、最近ではちょっと記憶にないほど重い字幕が画面に現れる。内容はここでは書かない。ぜひ、映画館で確かめてほしい。このドキュメンタリー映画自体はきわめてオーソドックスな作りだが、色々、知ることが多かった。
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